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台北・バスキング・デイズ vol. 4

台北芸人と愉快な仲間たち

あたりは熱気に包まれていた、というフレーズは、あまりにも常套句すぎて、現実味がわかないかもしれない。しかし、道行く人々は体からはエネルギーが溢れ出しているかのようで、決してただ単に夜のわりに気温が高いからというわけではなさそうだ。

まだ肌寒い日本から南国の島、台湾へと脱出してから一週間弱。日中は確かに半袖にならないと暑すぎるほどだが、かといって南国と言えど、京都の夏ほどの猛暑でもない。半袖のままで快適なぐらいだ。

しかし、日本と同じタイミングで四季が移り変わっていくので、台湾もようやく春を迎えているところで、到着してからというものの、夜は若干冷え込み、半袖だけでは風邪をひいてしまいそうな寒さが続いていた。

そして、ようやく金曜日の晩は半袖でも過ごせる暑さで、行き交う人々からも心なしか湯気が立ち上っている気がする。いや、気のせいか。

先ほどから演奏を続けている私の眼鏡が曇りかけなのが、人々のエネルギーもとい蒸発した汗に当てられているのか、それとも亜熱帯気候特有の猛威を振るった湿度にやられているかもしれない。それか、私自身の熱気か。

そんな議論はもはやどうでも良いことではあるが、週末マジックが起こっている気がする。ちらほらコインや紙幣をパラパラ入れてくれる人がいる。

今回新たに用意したメッセージカードをギターケースの前に置いているのもかなり役立っているのかもしれない。時々足を止めてメッセージを読んでくれる人もちらほらいる。ただ、なんというか、人が反応してくれているタイミングが特定の1曲の時だけなんだが。

今回セットリストは自分にとって、寝起きでもサッと演奏できて、なおかつ延々と演奏できそうな5曲を選択した。

自分がとてもグルーヴを感じながら演奏できるその曲を演奏している最中、もしくは曲の終了後に道行く人が反応してくれている気がする。このパターンはなんだろう、と考えながら、セットリストを三周終えた頃にふと思い当たることがあった。

あぁ、わかっちゃったよ。これはアレだ。

「スーパーイタコモード」。

恐山とかいうおどろおどろしい名前の山で、仰々しい踊りやら歌やら呪文やらでもう死んじゃった偉い人とかの霊を呼んじゃったりするのと同じだ。

演奏の最中に、自分の演奏の作り出すリズムやグルーヴに上手いことはまっちゃって、自分が若干トランス状態に陥って周囲には魅力的なパフォーマンスができちゃうアレだ。よくバスキング経験ある人が言う「必死の演奏」てやつだね。

確かにこのスーパーイタコモードにはまれば、道行く人でもこちらに興味をもってもらえるかもしれない。たまたま、この一曲が自分にはまっちゃったんだろう。

ただ、このモードには弱点がある。呼吸が深くなりすぎるので、とても疲れやすい。素潜りをしているような感じと言えば良いだろうか。海女さんがアワビを取りに息を止めて、海底まで深く潜っていくのと同じだ。

なので、その曲が受けるからといって何回も同じ曲を演奏すると息切れして、すぐに効果が薄れてしまう。つまり、ただのリハーサル演奏になっちゃわけだ。リハーサル演奏は楽だ。

あぁ、違法駐車がレッカーされているな、とか、タクシーと乗用車がクラクションの応酬をしているな、とか周囲の喧騒を楽しめちゃうわけだ。しかし、それではただただ時間のみが過ぎていくばかりだ。

小休憩を入れながら、降霊術作戦に励もう。

 こう多くの人が移動していく流れの中にいると、自ずと自分の音楽を気に入ってくれる人との出会いというのはあるわけで、CDも幸運なことにパラパラと売れていく。

しかし、中には演奏に没頭する私を悪げなく翻弄してくる輩も出てくるのだ。

演奏中にはたと私の真ん前で足を止めたのは色黒の青年でじっと私の演奏を凝視していた。気に入ってくれたのか、演奏が終わると一人大きく拍手をしてくれた。

そして、次の曲も最後まで聞いてくれていたのだが、バスキングにはこういった、立ち止まって演奏に耳を傾けてくれる人がいるだけで、他の通行人の注意を引いてくれるので、非常にありがたい存在なのだ。

案の定、ちらほらと足を止めて演奏に聞き入ってくれる人が出てくれる。しかし、彼は途中で飽きてきたのか、拍手のタイミングが曲の終わりとかぶるようになり、最終的にはまだ曲がまだ中盤なのに一人大きな拍手をしだした。あたかも、早く終われと促しているかのようだ。

無論本人にそんな悪意は微塵もなさそうで、ある程度聞いたら満足げににこやかに手を振って去っていった。

ずっと同じセットリストを回していると疲れてきたので、一度中断して息継ぎのつもりで、おしゃれコードのアルペジオをアドリブで演奏していると、ふと立ち止まり、演奏している私の手元をじっと見つめる女性がいた。その演奏が終わると女性はコインをパラパラと入れてくれ、話しかけてきてくれた。

香港から来たと言うその女性は、英語で話してくれているのだが、何と言うか発音が独特でとても聞き取りづらかった。

そして、何やら私に説明しだしたのだが、訳すとだいたいこんな感じになる。

「あなたの音楽はとてもピースフルね。私は香港で何人かパートナー(おそらくバンドメンバー)がいて彼らと一緒にヘヴィロックバンドをやっているの。けど、バンドメンバーが自分の他に二人しかいなくて、メンバーが足りていないの。さっきから見ていたらあなたの演奏の腕前は十分優れていると思うので、良かったら私たちのバンドで演奏しない?」

というバンドへの勧誘だった。彼女は私の演奏している楽曲に何かを感じたのかもしれない。

かくいう私は学生時代ヘヴィメタやハードコアといった、いわゆるラウドミュージックが好きでよく軽音サークルのメンバーとコピーバンドを組んで演奏していたものだ。今、演奏している音楽からヘヴィロックという単語に行き着いても決して無理な連想ではないはずだ。

しかし、自分は日本から一時的に台湾に来ている身なので、バンドに参加することは不可能である。かと言って、自分もかつてはヘヴィロックを愛してた人間でそのジャンルには敬意を抱いているので、申し出自体はとてもありがたく、光栄なお誘いではあるが、丁重に断りたい。

という旨を伝えようと思い、彼女が話し終わりそうな瞬間を見計らって口を開きかけたが、その瞬間、「えぇ、わかっている。わかっているわ。あなたの音楽はとてもピースフル。私たちの音楽はヘヴィロック。とてもデェ〜フェランだものね」と彼女はまくし立ててきた。

最後の単語がよく聞き取れなかったが、デェフェランなんて単語あったっけな。そのまま延々と話し続ける彼女に耳を傾けて、思い当たったのはディフェレント(different)。異質な、異なるってことだ。

私の音楽と彼女のバンドとでは音楽性が違うってことを言いたいのだ。しかし、さっきから全然喋らせてもらえないんだが。

そして、ようやく話が終わりそうになった時に、今度は滑り込むようなタイミングで、「Yes, but…」と自分の意思と想いを伝えようとするが、またも「いや、わかってる。わかってるわ。」と遮られてしまう。何でこの人一言も喋らせてくれないんだ。

そして、「あなたの音楽はピースフル。私たちの音楽とはデェ〜フェランだものね」と続ける。そして、デェ〜フェランという度にちょっと悲しげな表情をしてくる。

何というか、音楽性が違い過ぎてやっぱり断られるんだろうなっていう、やるせなさというか。案の定、この日本人無茶なオファーされて困っちゃっているし、てな感じで。

いや、困っているのは、こっちに全然説明させてくれないからですよ。俺だって、異国の地でばったりあった人と、青春時代を共に過ごしたヘヴィミュージックへの熱い想いを語って、共有してお互いの健闘を讃え合いたいと思ってるのに。

ていうか、さっきりからこのやりとりが3周ぐらい続いている。このままでは無限ループ地獄にはまってしまう。

次のチャンスでは、自分の意思を手短に伝えねば。余計なことは言わない。そして、彼女の話が落ち着こうと瞬間を狙って間髪入れずに、出た言葉は「Sorry…」。

これで、彼女はやっぱりそうよねとどこかしら納得した様子で、「あなたと私の音楽はデェ〜フェランだものね」と言い、手を振って去っていった。こんなやりとりが続いてしまうと余計に疲れてしまう。省エネで行こう。

そう思い、淡々と演奏していると、短髪の眼鏡をかけた小太りの男性がギターケースの前で立ち止まった。彼は私の演奏をしばらく見ていたが、演奏にある程度満足してくれたのか、屈んでギターケースの中に積んでいた私のCDを手に取り、じっと表紙や背表紙を眺めている。

CDのジャケットには楽曲のタイトルが書いてあるのだが、長年の勘からだいたい察しがつくわけで、彼は自分の知っている曲が含まれているかどうか、つまりカバー曲が含まれているか、をチェックしているのだ。

残念ながら、私のCDにはカバー曲は一切収録されていない。思い起こせば、確かに自分も十代の頃はアーティストのアルバムをチェックしていた時に、カバー曲がないっていだけでレンタルすることを諦めていたことがある。

今は、他とは違う異質なもの珍しい音楽が聴きたいので、全部オリジナルだろうが構わないのだが、そんな人は少数派の、それも国連の保護対象に該当する人種かもしれない。

しかし、このことは収益という観点で見れば、欠点かもしれないが、これは全て自分の楽曲です、と自信をもって言える強みはある。

今回は果たしてどうかと思い、演奏を続けながら男性の行動を観察していたのだが、彼はCDをすっと元の山に戻し、スクッと立ち上がった。そして、私の顔をまっすぐな真剣な眼差しで見つめ、言い放ったのである。

「キミナラデキルヨ〜」。

なんと。

彼の日本語の発音はお世辞に上手いとは言えず、たどたどしいものであったので、あまり日本語を頻繁に使う人ではないのかもしれない。

しかし、それならなぜ、熱血教師が発しそうなフレーズをチョイスして覚えているのか。

そして、足早に去っていく男性。

結局CDは買ってもらえなかった。

しかし、しばらく演奏を続けていると、その件の男性が戻ってきた。そして、100元札を放り込んでくれた。

やっぱり、人柄のいい人なんだろうな。と思い、お礼を言おうと思った矢先、先ほど同じく真剣な眼差しでこちらをじっと見つめ、

「ユメハカナウヨ〜」

と言い、去っていった。

うん、頑張るよ、俺。

新たに通りがかった男性がガッツポーズをしながら「ガンバルゥ〜」と声をかけてくれた。

うん、頑張る、頑張る。 

 土曜日も同じような感じだったので、三連続で大当たりかもと思い、日曜も出撃したわけだが、金土とは様子がだいぶ異なっていた。ある時間から人通りがまったくなくなり、週末の二日間に感じた狂気のようなエネルギーがあたかも霧が晴れたかのようになくなっていたのである。

続く

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