メルボルン・バスキング・デイ vol.5

バスキング飯 !!〜前編

 バスキングは体力勝負だ。三時間アルバイトで肉体労働するよりも、三時間バスキングでギター弾く方が体力を消耗するということは、私の経験から考えてみても決して大げさな表現ではない。バイトの身分でただ与えられた指示通りに黙々と身体を動かすより、偶然目の前で立ち止まった人を演奏だけでいかに盛り上げれるかという、そのエネルギーを瞬間的に大量消費するタイミングをこちらでは選べない分、バスキングの方が疲労度が桁違いなのである。

 よって、その資本である体力を支えてくれる食事を考えることはとても大事だ。初めてメルボルンに来たときは10月で、しばらく二、三週間はバックパッカー、通称「バッパー」住まいであった。バッパーには共同キッチンがあり、調理器具や食器等が揃っている。それに加えて、私が滞在したところでは無料のパスタや米が置いてあった。至れり尽くせりと言うわけだ。

 しかし、京都で10年間一人暮らし経験があるにもかかわらず、私はほとんど料理が出来ない。とりあえず健康のためになるなら見た目は関係ないと、三人前ほどのみそ汁に納豆とオクラと卵と煮干しを入れた、端から見たらゲテモノ特製スープをどんぶりで頻繁に飲んでいたりするくらいだ。そんなわけだったから、メルボルンに着いてすぐに自炊する気にはならず、まずはレストランに足を運んだ。

 メルボルンCBD(=中心業務地区)のメインストリートであるスワンストンストリートには様々な飲食店が並んでいるが、その国籍は中華料理やタイ料理、ベトナム料理など移民都市らしく多彩である。私が最初に訪れたのはTaiwan cafeという名の台湾料理店であった。正直台湾料理が中華料理と具体的にどう違うのか分からなかったが、そこで食べた牛肉とピーマンが入っている焼き飯(Fried rice)がとても美味しかった。しかし、オーストラリアは物価が日本の倍ほどで、シドニーの労働最低賃金が東京の大体二倍ほどである。とすれば自ずと料理の値段も高く、私の食べた焼き飯も日本円にすれば1200円ほどであった。その時はまだバスキングをスタートしていなかったので何度も食べに来れる値段ではなかったが、それでも他のレストランに行けば一皿2000円を超えるのが一般的であるメルボルンにしてみれば、破格の安さであった。この店の牛肉入り焼き飯はしばらくは私がバスキングで上手くいった時にのみ食べるご褒美的な料理になった。

 しかし、メルボルンへ発つ前、魚釣りに興じ過ぎて転倒し肩の骨にヒビが入ってしまったために断酒していたわけだが、恐らくは飲酒しない期間が長くなるほど私の味覚が正常になっていったのか、この界隈の安いアジア系料理に含まれることの多い化学調味料に対して舌がしびれるほど過敏になってしまい、この料理も食べられなくなってしまった。

 その後、ディジュリドゥ吹きのチャパ君と出会って、その友達であるバケツドラマーのマサ君がメルボルンに年明けに来てから、三人でアンプ使用が禁止になる夜十時頃に図書館前の公園に集まって良く食事に行ったのだが、Taiwan cafeの数軒隣にあるChina barで海南鶏飯(Hainanese Chicken)がマサ君の一押しであると言うので食べに行った。蒸した鶏肉にコリアンダー(パクチー)ベースの何とも不思議な味のするソースをつけて食べる、その料理に三人は狂喜乱舞し、それから毎晩店に通い詰め同じ料理を食べた。しかし、一人盛り上がり続けるマサ君をよそに一週間ほどして私とチャパ君は飽きてしまった。チャパ君曰く、恐らくその料理にも化学調味料が混入されていて、人間の舌は化学調味料の味に飽きてしまうとのことだった。

 安い外食は諦めて、自炊するかと思い、手を出したのがアジアンマーケットに売っていた出前一丁である。インスタントラーメンかよ、と思いの方、ちょっと待っていただきたい。一応自分なりにアレンジを加えているのだ。出前一丁二袋の麺を茹で、添加物が多く含まれると思しきその茹で汁は捨ててしまう。次にスープ作りで沸かしたお湯に、栄養価が高いとネットにあった鶏の骨付きもも肉と刻んだニンニク、スーパーで売っていた何かしらの葉っぱの詰め合わせを加えて茹でる。骨付きもも肉は四本入りで3ドルほどで売られており、毎回二本入れるが、これが良い出汁が出てとても良い味になる。 メルボルン初期ではこの料理が最も経済的で栄養価が高いと信じ込んでいた。バッパーでも作っていたのだがキッチン清掃に来たスタッフに笑われてしまった。何故だろう。

 アジアンマーケットの棚に並んでいた出前一丁の種類は何故かとても豊富で「日本でもこんなに種類あったけか」というパッケージを何個も見かけたほどだ。そんな出前一丁ライフも一ヶ月ほど続くとやはり気づくのだ。どのパッケージも同じ共通の味がするということに。おそらくは化学調味料なのだろう。

 それから出前一丁は辞め、次は刺激のある辛いものが食べたいと「今麦郎」という中国のインスタントラーメンに手を出し始めた。これもいくつか種類があり辛いものとそうでないものがあるのだが、私は主に辛みの強い黄色のパッケージと赤紫色のパッケージのものを良く好んでいた。確か黄色はただの唐辛子味で、赤紫色は豚のエキスか何か入っていたと思う。両方とも上記の調理法で何度か食べ比べてみた結果、黄色の方が私の口に合っていることが分かった。これは、シェアハウスで良く食していたのだが、何故かルームメイトに笑われてしまった。何故なんだろう。

 しかし、そんなインスタントラーメンライフもやはり終わりを告げるのであった。メルボルンに来た時点で元々腱鞘炎の後遺症で右手親指の自由が利かない状態であったが、年が明けると親指だけでなく人差し指も動かなくなってしまった。二月頃には右手の中指一本だけでタッピングとアルペジオをこなしてわずか四曲のレパートリーでバスキングしていた。そこで指圧師でもあるチャパ君に身体の不調を相談したところ、色々触診で調べてくれて、胃が硬くなっていると指摘してくれた。おそらく消化に悪いインスタントラーメンばかり食べていたせいで、消化するのに頑張り過ぎた胃の筋肉が硬くなってしまい、その悪影響が体全体に波及しているとのことだった。チャパ君はインスタントラーメンを辞めること、と指定した胃薬の使用を勧めてくれて、そのアドバイス通りにしたところ胃は元の柔らかさを取り戻し、身体の不調も大分回復したのであった。

 バッパー住まいの後に、サザンクロス駅付近の韓国人オーナーが取り仕切るフラットに住むことになった。そして、外見や文化が似ている隣国だからかそのフラットの住人には日本人が割と多かった。なのでそのフラットにはさも当然であるかのように炊飯器があった。韓国人も日本人と同じくよく米を食べるのだ。ところがある日炊飯器が壊れてしまった。フレンドリーなオーナーは冗談で「お前が壊したのか」と言ってきたが、その時私は「米が食べれないのは困る。どうしたものか」という日本人にとっては死活問題に等しい難題で頭が一杯だったので相手にしなかった。

 そこでその時相部屋であった日本人が「米なんか鍋で簡単に炊けますよ」と言っていたので、作り方を聞くと「米入れて水少し多めに入れて沸騰させるだけです」とのこと。何だそんな簡単なことなのかと、言った通りに馬鹿正直に強火でずっと加熱して調理してみると、炊きあがった米に芯が残っていた。米のアルデンテ。こんな不味い米を生まれてこのかた食べたことがなかった。結局、その日本人にはもう聞かずネットで作り方を調べ、鍋を使った米の炊き方を独力で習得したことで、無事にハッピーライスライフが守られることになった。


 余談だが、その相部屋の日本人とは生活空間の共有が上手く行かず同室ながらも二ヶ月以上に渡る口もきかない大げんかに発展するのだが、オーナーとも意味の分からない口喧嘩をするような人間だったので、まぁ、お察しと言うことで。そのシェアハウス滞在の最後の一ヶ月はオーナーに交渉したら、「お前は良いやつだから特別だ」と隣の広い部屋に移してくれた。日頃真面目に振る舞っておくもんだ。

後日談:「海南チキン」は自分の青春の一品となったわけだが、同時にコリアンダー(パクチー)に抵抗が全くないことに気づいた。帰国してからたまたま目にした某テレビ番組で、インタビューを受けた半数の人が「パクチー」嫌いを公言していたのを見て驚いてしまった。そんな人たちも「海南チキン」と出会っていれば、そんなマイナスの印象を持つことはなかったかもしれない。「海南チキン」を是非とも食べてほしいものだ。「海南チキン」は台湾編でも出てきます。

後編に続く。

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