長谷川伸の「ヤツコ、ラウメン」と「イイコラウメン」

 明治27年生まれの風俗研究家植原路郎によると、明治末期の浅草来々軒において支那そば(らうめん)を頼むと、店員は「エー、ラーメンヤッコ」と注文を通したといいます。

”「来々軒」の山もり一杯十銭の時代は相当永かったが、あの独得の花番の通し言葉「エー、ラーメンヤッコ」は相当の年代の人の耳底には残っているはずである。(明治末期)”(『明治語録』 植原路郎)

明治語録P118

 浅草来々軒は広東料理の看板を掲げており、横浜から広東系の料理人を連れてきていました。

 なのでこの「ラーメンヤッコ」とは「柳麺一個(ラーメン一つ)」の広東語発音であると思われます。

 漢字を広東語で発音するサイトで「柳」「面(麺の簡体字)」「一」「个(個の簡体字)」の発音を聞く→

 明治30年代のことになりますが、作家長谷川伸は「らうめん」を食べるために、横浜南京町(現中華街)の遠芳楼という店に通っていました。そこでの中国人老爺の通し言葉も、「やつこ、らうめん」でした。

 以下は長谷川伸の大正15年の小説における遠芳楼の描写です。

”「何、食べる」ときいた。
「らうめん」と答へた。
「あ、らうめん」
(中略)
「やつこ、らうめん」
 と老爺が唄のやうにいつた”
(「南京ちゃぶ」 長谷川伸 『戦国行状』)

南京ちゃぶ

 明治43年の『開港五十年紀念横浜成功名誉鑑』(森田忠吉 横浜商况新報社)に”聘珍、永樂、遠芳、成昌の各樓は有名の廣東料理店である”とあるように、遠芳楼も広東料理店でしたから、”「やつこ、らうめん」”は「一個、柳麺(一つ、ラーメン)」の広東語発音なのでしょう。

遠芳楼

 さて、長谷川伸の遠芳楼の描写には、もうひとつ「イイコ」という言葉が出てきます。

 ”ラウメンと新コがいうと 首肯いて向うへ走り、イイコラウメンと些か節をつけて発注してくれます”(ある市井の徒 越しかたは悲しくもの記録 『長谷川伸全集第十巻』)

長谷川伸全集第十巻_061

 この「イイコ」が何を意味するのかがわからないのです。

 twitterで中国人の方に聞いたところ、厨房では共通語としてマンダリンを使うことがあるので、マンダリンで「一つ」を意味する「一個(イイコ)」ではないかと教えていただきましたが、よくはわかりません。

 長谷川伸が”「やつこ、らうめん」”と書いた「南京ちゃぶ」を発表したのは大正15年。一方、自伝「ある市井の徒」は、『長谷川伸全集第十巻』の解説によるとその26年後に書かれたものです。
 
 記憶が遠ざかって、日本語の「一個(いっこ)」と広東語の「ヤッコ」が混濁してしまったのではないかとも思いましたが、全く別の意味の広東語かもしれませんし、よくわからないというのが今の所の結論です。