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『分け入っても分け入っても日本語』の「ホルモン焼き」について

『分け入っても分け入っても日本語』の「ホルモン焼き」を読みました。

大変素晴らしい内容です。

ホルモン=ほうるもん説は、『モノになる動物のからだ』(中島久恵)、『焼肉の誕生』(佐々木道雄)、そして拙著『焼鳥の戦前史』において、誤りであることが証明されてきました。

しかしながら、ホルモン=ほうるもん説はいまだに根強く流れています。こういった形で、いわば日本語のプロフェッショナルである国語辞典編纂者の飯間浩明さんから批判的検討が加えられたことは、私にとって頼もしいかぎりです。

さて、『分け入っても分け入っても日本語』「ホルモン焼き」の内容についてですが、食文化史研究の観点からすると若干気になる表現があります。

重箱の隅をつつくいわば職業病のようなものですので、そういう考え方もあるのか、程度に受けとめていただけたらと思います。

なお、『焼鳥の戦前史』において取り上げたホルモンと食についての資料はスプレッドシートにまとめ、無料公開しています。こちらを参照していただくと、より理解が深まると思います。


(1)”ブタなどの内臓を切って焼く料理を「ホルモン焼き」と言います。”


”ブタなどの内臓を切って焼く料理”は大きく分けて4種類存在します(しました)。煮る料理、揚げる料理も「ホルモン」とよばれることがあります(ありました)が、ここでは除外しています。

1.大阪
a.鉄板で焼く
b.網で焼く
c.串にさして焼く

2.東京
a.串にさして焼く

それぞれについて説明します。

1-a 鉄板で焼く
戦後大阪の闇市から広がった料理です。戦前は被差別部落特有の料理だったものが、戦後の食糧不足の状況下で部落外に広まったものである、というのが『焼鳥の戦前史』における推論です。

1-b 網で焼く
いわゆる「焼肉」です。これについては『焼肉の誕生』(佐々木道雄)を参照してください。料理自体は戦前から存在するそうです。

1-c 串にさして焼く
マンガ『じゃりン子チエ』の「ホルモン」です。『焼鳥の戦前史』では、戦前の資料から、西成周辺に存在する地域伝統食であると判断しています。

2-a 串にさして焼く
いわゆる「焼鳥」です。東京では豚や牛の内臓焼き、とくに豚のそれを「焼鳥」という名称で売っていましたが、戦後この焼鳥あるいは焼鳥の一部(豚の睾丸等)を「ホルモン焼き」に名称変更する店が現れました。そして昭和40年代にホルモンブームが消滅すると、元の名称「焼鳥」に戻りました。

このうち「ホルモン焼き」という名称が確認できているのは1-a、2-aです。1-b、1-cは「ホルモン」「ホルモン料理」と呼ばれていますが、「ホルモン焼き」という名称を使っているか(使っていたか)はわかりません。

また焼鳥のように、かつてホルモン焼きと呼ばれていたけれど、現在は呼ばれていない料理もあります。

従って


”ブタなどの内臓を切って焼く料理を「ホルモン焼き」と言います。”

という『分け入っても分け入っても日本語』の表現は厳密には

”ブタなどの内臓を切って焼く料理の一部を「ホルモン焼き」と言います(あるいは言いました)。”

ということになります。


(2)”問題の「ホルモン焼き」は、戦後になって現れた料理と見られます”


上記のごとく、”ブタなどの内臓を切って焼く料理”をホルモン焼きとよぶ習慣は戦後現れたものですが、料理自体はいずれも戦前から存在するものです。

従って、『分け入っても分け入っても日本語』の


”問題の「ホルモン焼き」は、戦後になって現れた料理と見られます”

という表現は食文化史的には

”問題の「ホルモン焼き」は、戦後になって現れた名称と見られます”

ということになります。


(3)”「内分泌物質の『ホルモン』が精力剤や回春剤のようなイメージで知られるようになった結果、遅くとも1930年代には、栄養がある臓物料理などを指す『ホルモン料理』という名称が広まっていた」”


この表現は間違いではないのですが、ホルモン料理に対する考え方の主流はあくまで「動物や魚の内臓に含まれるホルモンを経口摂取することで、ホルモン製剤と同じような効果を得られる」というものでした。中華料理がホルモン料理といわれていたのも、豚の内臓肉を使用していたから、というのが主な理由です。

これが拡大解釈されて、松葉とか蛇とか、栄養がある、精力がつく材料を使った料理・食品一般にも用いられるようになりましたが、あくまでそれらは傍系の考え方です。

また、ホルモン料理のホルモンは、一般的な内分泌物質のホルモンではなく、「アウトホルモン」という特殊な理論における「ホルモン」を意味する場合があります。アウトホルモン理論については『焼鳥の戦前史』を参照してください。


(4)”戦後のホルモン屋の中には、まずい店もあったはずです。「こんなのは『ホルモン』やない、『ほうるもん』や」「臓物やから『ほうるもん』やな」という冗談が生まれたのではないか。その冗談が、いつしか語源と勘違いされて広まったのでしょう。”


『食肉の部落史』(のびしょうじ)によると、ホルモン=ほうるもん説はとある関西在住の詩人によって提唱され、昭和50年代以降に広まったそうです(P61)。

昭和40年代までは、ホルモン焼きやホルモン料理の「ホルモン」が内分泌物質のホルモンを意味するということは常識的なことでした。この記事の一番上の画像は植原路郎の『食通入門』(昭和46年初版)におけるホルモン料理の説明です。

週刊読売1969年2月7日号P60 (1)

週刊読売1969年2月7日号P60 (2)

これは週刊読売昭和44年2月7日号(P60)の、日清食品安藤百福社長へのインタビュー記事です。

チキンラーメンには雄鶏の金玉エキスが入っているので、そのホルモンの効果で男性は”女性関係がよく”なり”ハダのつやがよくなる”と主張しています。

この話は冗談などではなく、昭和44年当時の人々にとっては真面目な話だったのです。チキンラーメンには金玉エキスが入っているので、男性ホルモンによる強精若返り効果があると人々は信じたわけです。

ところが昭和40年代にホルモンブームが終焉し、人々はホルモン焼きの「ホルモン」の本当の意味を忘れてしまいました。

その記憶の空白を埋める形で、昭和50年代以降、ホルモン=ほうるもん説という嘘情報が広まっていったわけです。詳しくは『焼鳥の戦前史』を参照してください。