[猫子曰く] 感染者数をKPIにしてはならない理由
「家にいよう」「自粛しよう」「このままでは医療崩壊がおきる」
というスローガンとともに、
感染者数を報告するニュースが 毎日のように流されている。
しかし、もし今回の事態(最近では コロナ禍とか呼ぶらしいですが)への対処が失敗できないプロジェクトであり 参加者全員が協力しなければならないのだとしたら
扱うべきKPIは感染者数ではない。 というお話。
1)感染者数を正確に把握できない。
ニュースで流れている「感染者数」とは 正確には「感染発覚数」のことで、
実際に日本国内で何人の人が「今日新たに感染したのか」 ではない。
一部で言われているように 検査体制や検査基準(どんな症状なら検査するのか)
によっても異なるし
検査の主体となっているPCR検査 という検査の特殊性で 偽陽性・偽陰性の確率がかなり高い。
なによりも コロナの特徴とされている
・感染力が強い
・6割以上が無症状、8割は軽傷以下
の結果 実際に感染しているけど無症状(だから気が付かずに)検査すら受けていない感染者
がどれくらいいるのか 見当もつかないのだ。
これだけ 数値に与えるファクターが多すぎる数値を指標にするなどありえない。
2)目的との相関が不透明
コロナ禍を切り抜ける「ゴール」を何に設定するか は諸説あるが
議論を尽くしていけば必ず 「犠牲を最小化する」 ということになるだろう と思う。
つまり コロナによる死者数を最小限にしたいのだ。
ところが 感染者数と死者数の相関がはっきりしない。
欧米では致死率が10% を超えている地域もあるが、日本ではわずかに0.2%程度。
しかも前述のとおり 分母(感染者数)が正確でないために この「致死率」という数字にも
かなりの幅がある。
死者数を最小化するために 数値連鎖の川上(感染→重症化→死亡)
をおさえたい という発想はわかる。
が、感染者を抑え込みにいってもそれが死者数の抑制につながるというエビデンスはどこにもない。
3)必要以上に不安をあおる
ただえさえ未知のウィルスなために未来が見通せないことが社会全体を不安に陥れている。
先述のとおりコロナの特徴はその感染力の強さだが、こと日本(あるいは東南アジア域)においては致死率は非常に低い。
つまり、感染者数だけを追っかけてしまうと被害の拡大が被害以上にクローズアップされてしまうことになる。
重要なことは 死者数をおさえるために医療崩壊を防ぐことであり、そのために必要なことは 自粛よりも医療リソースを最大化することだ。
にも拘わらず、感染者をKPIにすると
「今日も感染者は減りませんでした」「だからもっと自粛しなければなりません」「感染も重篤化も確率は極めて低いのに、それでもわずかな可能性でもつぶしにいかなければ」となって 小中学校を閉鎖する→子供のいる医療関係者は十分に働けない→医療リソースがひっ迫する
つまり 感染者数をKPIにしたがゆえに 最も大事な医療リソースに悪影響を出す。という本末転倒な連鎖がおきる。
--
困難な事態に 様々な関係者が役割分担しながら 1つのゴールを目指す時、それぞれの役割の成果は様々な態様をとるので、全体としての成果をはかるべく 成果を数値(KPI)に抽象化するのは非常に意味のあることだ。
だが、そのKPI設定を誤ってしまうと それぞれの役割がゴールに向かなくなってしまう。
未曾有の事態であるコロナ禍において 最終的なゴールは「犠牲者をできるだけ出さない」ことであり そのために設定するべきKPIは感染者数ではない。感染者数をKPIにしていることで 様々な判断ミスがおきている というのが現状だろう。
※
一部の自治体は それでも感染拡大防止を呼び掛けることを 意図的にやっているふしがある。医療体制の整備や現場のトリアージはしつつ 市民へのメッセージをシンプルにする(市民に複雑な構造を理解させるのは不可能に近いので「とりあえず不安を維持して自粛させておく」)ということなのだろう。
(rights)
画像は 東洋経済オンラインが公開しているサイトから引用しています。