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無事着地。


無事noteにたどり着いた。なんとなくそろそろかなって思ってたけど、やっぱり社会人になってから仕事のこと、人生のこと、とにかく人の文章を読むようになった。

だからきっとここに足を踏み入れてしまった。
もう時間の問題やった。どうも、これからよろしくです。

自分の記録用でもあり、最近少し発信欲があるので、文章が下手すぎるけど (本気を出せば滝沢カレン並みの文章書ける自信がある) 定期的に残していきたい。

目標は:
「なんとなく言いたいことはわかるし、すこし納得した気がする」って思ってもらえるような文章を書くこと。

ふわっとしたニュアンスが伝わればそれで大満足する。


では、なんでわたしはnoteを始めたか。それは、23歳にしてやっと発信することの大切さや面白さを知ってしまったから。


わたしは少6のとき、将来の夢を聞かれて「女優さん」と答えた。天テレ(年齢的には遅い)を見るのが好きで、子供でありながら魅せる仕事ができるというのが羨ましかったのも覚えてる。

でもそれ知った母は「テレビでみるひとは本当の本当のひと握りだよ」「多くの人は売れなくて途中でやめるしかないんだよ」って12歳の私に教えてくれた。

たぶん私も真剣に、本気で、「女優になる!」とも思ってなかったし、母も「何をしてでもこの子を説得しよう」とも思ってなかったはず。
ふわっとした言葉が重なって生まれた会話。

でも、そのなんとなくかけられたこの言葉はずっと脳裏によぎる言葉になり、わたしのその後の11年間の、挑戦心のブレーキとしてはたらく言葉になった。

なにおいても、少しでもマジョリティからはずれる行動をとりたいと思ったときに、「こういうの向いてるのってごく一部のひとやし、わたしはその人じゃないな、、」「こういうのってもっと才能のある子がするべき、私がやってもバカにされるだけ」って。

変なプライドとも相まって、わたしはいわゆる「クリエイティブ」な道で成功できるひとじゃないという枠の中で思考が収まっていた。

心底、夢なんてもったって意味ないって思ってたし、「将来〇〇になりたい!」って言う人なんて全員冷めた目で見ていた。正直、よくそんな恥ずかしいこと人と共有できるな、、って思ってた。

そして 2019年 9月、就職と同時に上京。仕事後に通う習い事に迷っていた中、いままでは趣味でしてた「映像制作」をプロっぽいレベルまで磨きたいからそのようなスクールも考えているとさらっと伝えた。

すると「最近Facebookでこんなのみたよ」という言葉が返ってきて、母の(知り合いの)紹介で面談、そして入校。会話から1週間後には、映像制作スクールに通うことになっていた。

これもまたもや自然な流れで言葉と思いが重なり生まれた会話。でも今回はブレーキではなく、急にギアを3ぐらいにあげるきっかけになった。

そして、いまでは「わたしは映像クリエイターになりたい」「今年中にいまの仕事をやめて、
映像クリエイターに完全転身する!」と周りに自らこの宣言を周りに浸透させていっている。


母に習い事を相談したことで、スクールに通うことができている。

友達に夢を伝えたいことで、結婚式で流すムービーの依頼をうけた。

こうやって23歳にして日々、
発信すること、
素直になること、
共有すること、
相談することの
大切さとその可能性を身をもって感じている。

だからこそ、携帯の画面みる時間が長すぎるとか言われる時代やけど、発信はただ続けるだけでなく、より一層力を入れて取り組んでいきたい。

ほんとうにありきたりで、安く乱用される「夢」という言葉だけど、みんなの「夢」を聞きたいし、わたしの場合はそれを上手く映像にまとめたい。

そしてもちろんその作品を発信して、みんなのエンジンをギア3にあげるツールにする。



なによりこの投稿を書きあげるのに3日もかかった。やっぱり文才のあるひとの発信も全力で受信して文章も上手くなりたい。

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