見出し画像

【自己紹介】~私の半生について~

はじめまして!
株式会社Branding Careerの渋澤(しぶさわ)と申します。
自分が何者なのか、振り返りながら書いていこうと思います。
短くまとめるのは苦手なので、つらつらと思いのまま書いていきます。
お時間ある方、ぜひご覧くださいませ。


はじめに

◎キーワード
・長野県出身 ・人間科学科卒 ・元飲食人事 ・ワーホリ経験 
・格闘技/歌/お笑い好き ・思想家(エニアグラム) ・INFP

◎生い立ち
長野県の坂城町という小さな田舎町出身です。
周囲を見渡せば山、山、山と自然が豊か。ものづくりが盛んで、その成長に支えられている町です。空気美味しいし、なんやかんやで地元は好きです。

渋澤少年

昔からとにかく色んなこと「ハマって」きた人生で、
〇小学生
・水泳:一番上のクラスまで/平泳ぎが得意な種目
・サッカー:1年間だけ/ポジションはDF
・金管バンド:トロンボーン吹いてました/全国出場
〇中学生(部活)
・軟式野球:ポジションはライト、センター、セカンド
〇高校~大学(部活)
・硬式テニス:パワーはなかったのでテクニックでカバーするタイプ
       大学の途中で部活は辞めましたが、今でもたまにやります
〇社会人
・ビリヤード:一時期毎週のようにビリヤード場に通っていた
・格闘技:今は見る専なのですが、近々ジムに入ろうかな…
などなど…。

色んな経験をちょっとずつしているので、広くちょい深みたいな人間。
「オールラウンダー」と言われることもあり嬉しい気持ちもありますが、
何かに尖った人を羨ましく思う気持ちもあります。

経歴

学生時代

私の人生における一つ目の転機が高校1年生の時。
地域で2番目ぐらいの(自称)進学校に入学をしたのですが、まったく勉強が面白くなかったので部活動のテニスに明け暮れる日々でした。

同学年の入部は私を含め3人。残りの2人はテニス経験者なのに対し僕は野球部出身だったので、初めのころは球拾いだけやらされていました。
テニス好きなのにラケット握るのは練習の前後だけ。
鬱憤がたまっていきます。

その鬱憤が夏休み期間の部活合宿で爆発。
合宿後迎えに来てくれた母親の車の後部座席で「もう学校行きたくない」と伝え、夏休み後から半年間いわゆる不登校になりました。
今でも母親のリアクションやその時の情景は鮮明に覚えています。
今振り返ると「なんでそんな理由で?」って感じですが、当時の僕からしたら耐え難いことだったんだなと。

不登校の期間は昼夜逆転、毎晩オンラインの友達とFPSをやる日々。
本当にどうしようもない生活をしていました。
家族にも迷惑や心配をかけたし、つらい時期でした。

そんな私を救ってくれたのが、とある心理カウンセラーでした。
何回か対話を重ねるうちに、家族との関係性や人生の向き合い方など、それまで悩んでいたのが噓かのように思考が好転。

高校を1年生からやり直し(テニス部も)、大学もストレートで入学。
大学では将来「僕のように悩んでいる人の助けになりたい」という思いから臨床心理学を学べる人間科学科を選びました。
ここからやっと本当の意味で人生のスタートを切れたのだとと思います。

県出場が決まった瞬間

1社目

〇店舗スタッフ時代
アメリカ発祥、ドーナツの製造・販売をしている会社に新卒入社。入社前からガンガン前に出ることだけを意識していたので、北海道エリアの立ち上げメンバーに選んでいただき、店舗スタッフとして2店舗のオープンに携わりました。しかしその後は店舗でドーナツ屋さんを全うする日々。
キャリアが見えなくなりかけていたタイミングで、東京異動が決まります。

〇人事:新卒採用担当→人材開発
当時新卒採用は毎年7人~10人ぐらいの採用規模で、要件定義から入社・受け入れまで一気通貫して担当。担当が私だけだったのと業務の特性上、毎年秋~翌春は本当に毎日血反吐を吐く思いで仕事をしていましたね。
途中からは新卒領域に加えて中途・アルバイト領域の採用、加えて社内報作成担当とカオスでした。
会社の顔として求職者の方との接点を持ち、その方の人生をお預かりする…
大変ながらもやりがいに溢れる仕事でした。

人事っぽいという理由でメガネしてました(メンズみんなメガネじゃん)

ワーキングホリデー

2022年になりコロナが落ち着き始めたタイミングで、小さいころからの夢であった「海外で暮らす」を実現することに。学生時代の旅行で最も刺激的で思い出の深かった国、オーストラリアにて1年間ほど過ごしました。

◎ファームジョブ
始まりの地に選んだ都市はパース。の更に1000km北にある”カナーボン”という田舎町でした。理由は、農場で働き延長ビザをもらうため。
僕のいた農場ではトマトの収穫がメインの仕事で、同僚はアジア系中心。
毎日朝4時~夕方4時の間ひたすらトマトを収穫していました。でもその後はお酒飲んだり、BBQしたり休日は釣りをしたりと充実してました。
あんまり普段お酒を飲まなかった僕でも、「この時のために働いているんだ」と思えるほど、仕事の終わりのビールは沁みましたね。

ファームメイトと隣人オージー

移民が多いオーストラリアのワーホリビザは、国が指定している産業従事者(1次産業が多い)で要件を満たした人には最大3年まで滞在を許してくれます。最初は僕も2.3年はいるつもりで働いていましたが、途中で「でもそれって次の選択を先延ばしにしているだけじゃね…?」と気づきます。

◎シドニーへ
心機一転、シドニーに移動し語学学校に通いながら蕎麦屋で働いていました。スタッフの割合は日本人とその他が半々ぐらいの割合で、キッチンからスタートし最終的には伝票のコントロールをするポジションにいました。
最終的にはスタッフと家族のような関係になれて、またシドニーに行っても自分の居場所があると思うと感慨深いですし、人生の財産ですね。

2社目(現在)

転職活動では人事職や営業職を中心に選考を受けていましたが、そんな中でビビッときたのが現職でした。理由としては、ITエンジニアの支援事業を通して、業界課題の解決ひいては社会貢献をしているというところ。

ワーホリ中、自分が日本大好き人間であることを実感しまくっていたわけですが、その中で「大好きな日本をより盛り上げるにはどうしたら良いか」を考える機会も多かったです。そういったマインドの転職活動の中で出会ったのがTSSでした。

実際入ってみて思うのは、事業部の行動指針「Be Gentle/Do The Right Thing/Be professional」(プロとして、人に誇れる仕事に真摯に取り組む)を体現している方ばかりだなと。
刺激的ですし、皆さんに一日でも早く追いつこうという覚悟でいます。

転職エージェントとしての強み

「採用担当側の気持ちがわかる」ということ。
自分が選考を受ける企業担当者が面接でどこを評価するのか、また何を強みとして推していけばよいか。
元採用担当者として、リアルな目線でのお手伝いができると思います。

人生・キャリアのゴールを見据えた際に、貴方にとって今何をすべきか?
一番近くで寄り添う存在として、一緒に考えていければと思います。

Why I'm here?

何故僕がIT・WEB領域特化の転職エージェントになったのか?
①関わった人の成功を間近でサポートしたい、祝いたい
②人事職では得られない、業界や求職者に関する知見を得たい
→根底には、目の前の人の人生成功をサポートとしたいと言う欲求があります。

転職ってものすごくエネルギーを使いますし、人生において大きな決断のタイミングですよね。そんな時に、常に頼れる存在でいれたらなと思います。相手の人生の選択に真摯に向き合い、常にプロとしての自己研鑽を怠らず、
同じ気持ちを持った優秀なメンバーの皆さんと共に邁進してまいります。

【追記】新部署の立ち上げに参画中です!
かねてより弊社はエンジニアに強いエージェントとして成長を加速させているのですが、この度営業職をメインとした新部署を立ち上げ、ビジネスサイドでのご支援も注力をしています!こちらもご興味のある方は是非。

さいごに

ここまでお読みいただきありがとうございました!

個性的なメンバーに負けないよう、少しずつ、私自身の色を出していければと思います。時間をかけてでも、関わる人が「ハマれる」存在になれたらと思います。これからよろしくお願いします!

☆ご興味がある方、LinkedInのDMにてぜひご連絡ください!

www.linkedin.com/in/kosuke-shibusawa-b71771209





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?