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ハーバード大にコレクションされているバウハウス関連の書体ってどれかしら?

1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校「バウハウス」。その卒業生の作品をハーバード大学がデジタル化され、アーカイヴが公開されたとのことで、どんな書体が埋もれてるか漁ってみましたよ。

Herbert Bayer, Research in Development of Universal Type, 1927(BR48.94)

1927年の作品ですが、この年にはPaul Renner(パウル・レナー)のFutura(フーツラ)、ルドルフ・コッホ(Rudolf Koch)のKabel(カーベル)が発表されています。

話が、逸れるけどFuturaは、ナチスを想起させるから使わないようにって2000年初頭実しやかに流布されてたよなぁと思って調べてみたら、完全なガセネタだったようでした。そんなこんなで、一時期、Futuraを一切使わなかったな....

んで、なんでそんな事になったのかとググった結果、ガセネタの発生源、諸悪の根源は、片塩二郎氏の著書だった模様。

片塩二郎『イワンとヤン ふたりのチヒョルト』朗文堂 2000年6月26日発行 の346ページに、
「パウル・レンナーもまた、ナチの手に苦しんだ人でした。チヒョルトと同様に、ミュンヘンの教職を意味もない理由によって剥奪されています。またその代表作のフトゥーラ活字は、ナチの教育・宣伝に縦横に駆使されたために、その使用にはいまなおためらいがみられるのがドイツの実情です。このつらい経験がもたらした精神的な荒廃は、いまだにレンナー家をくるしめています」とあります。

で、それが誤りだという検証内容については、下記ブログを参照して欲しい。

詳しくはデザインの現場2004年10月号を参照して欲しいが、簡単に言うと「Futuraがナチスと結びつきがあると感じる者はおらず、また特定の国家あるいは民族に嫌われている事実もない」というものであった。ドイツを含めたヨーロッパはもちろん、ユダヤ人国家であるイスラエルでさえ堂々と使用されている。

小林章氏による世界各地のタイポグラフィ界の方たちへの取材は、下記。

世界各地のタイポグラフィ界の著名人たちにインタビュー
雑誌『デザインの現場』に「書体 Futura は欧米やイスラエルで普通に使われている」という記事を書いたのが2004年10月号です。それまで日本だけで聞かれた「Futura はナチスのイメージがあるので使用に注意」という噂はオカシイよ、と声を上げてからもうすぐ5年ですが、その噂はいいかげん消えつつあるんでしょうか、それともまだ深く残っているんでしょうか。『デザインの現場』2004年10月号が今は手に入りにくくなっていると思うので、その噂についてそのときインタビューした世界各地のタイポグラフィ界の方たちの意見をここでも紹介します。

ということで、何を根拠に片塩氏がそんなことを書いたのかは謎。別件ではあるが、下記ブログを読むに、片塩氏の著書には事実誤認(妄想?)が混ざっている可能性はありそう。

高岡重蔵氏、昌生氏とも、片塩氏が重蔵氏にインタビューして書いた原稿の校正刷を本人に見せることなく本にしたことに、事実誤認が多く不快の念を覚えている。

Futuraと並んで「ナチスを想起するから使うときは考えなきゃだめよ〜」ってどっかでカッポジッたのか、雑誌で読んで混同してるのか覚えてないんだけどサンセリフ・ブラックレターも気をつけなきゃねって話でうろ覚えしてるんだよね。結論としては、使っちゃいけないってことは無い様で、その当時の雰囲気を醸したいなら使っておkってことのよう。(もしかすると、『デザインの現場』2004年10月号に書いてあったのを混同して覚えてたのかも....ちょうど大学の図書館で読み漁ってた頃だし....。「書体にはちゃんとバックグランドがあるので適切な雰囲気を醸し出すためには正しい知識が必要だ」とかそんな内容だったのを薄っすら思い出した。)

サンセリフ・ブラックレター体は1910年代から30年代にかけてデザインされ、ナチス党が台頭していた30年代にポスターやチラシの見出し書体として、また町中では看板やサインなど非常によく使われました。
(中略)
しかしながら戦後はサンセリフ・セリフを問わずブラックレター体そのものが古い時代の象徴と見なされ、新聞のロゴやパッケージデザイン等の例外を除くとほとんど使われることがなくなったため、一気に姿を消します。
(中略)

つまりサンセリフ・ブラックレター体はナチスの台頭していた時期とほぼ重なる20世紀前半の非常に短い期間のみ出回っていた書体なので、どうもこの時代を象徴するイメージがついてまわるようです。

ナチス関連で嫌煙されてたフォントはFuturaではなくFrakturですかね・・・

と会社で隣の席のお姉さんに指摘されましてwikiりました。

20世紀、ナチス・ドイツは、ドイツを故意に他の西欧諸国とは異なった国にしようという意図から、中世以来の伝統的なフラクトゥールを正式なドイツ語の書体とし、国際的なアンティカ体はアーリア的ではないと宣告した。この公式な立場は1930年代後半を通じ維持されていたが、1941年1月3日、官房長マルティン・ボルマンが突然全ての政府機関に対して「フラクトゥールはユダヤ人の文字 (Judenlettern) なのでこれ以上の使用を禁止する」という文書を発したためフラクトゥールは公式文書から消えてしまった。

これも、ナチスを彷彿とさせるからNGってことはなく、当時の雰囲気を出したければ使ってもいいって程度の話な模様。

Herbert Bayer, Research in the development of Universal Type, 1925(BR48.93)

うーん、これもヘルベルト・バイヤー氏作の書体。1925年にバウハウスの教官となったそうなので、新米教官(25歳)の作品ってことですね。

Harvard Art Museumsのバウハウスに関する「書体」のアーカイブはヘルベルト・バイヤー氏の上記2点だけっぽいです。いろんな作品が収録されているので、面白いです。

とりあえず、リオネル・ファイニンガー氏のスケッチが大量に出てくるのには、ちょっと躓いた。

バウハウスに影響を受けたksd6700の代表作「西千葉Tシャツ」とデッサウのバウハウス(Mar 2013)

アトリエ館(学生寮)で干される「西千葉Tシャツ」(Mar 2013)

学生寮に泊まったんだけど夜寒すぎて風邪を引いた....

そいえば、「風立ちぬ」にデッサウ出てきましたね。下記のセリフが大分に印象的でした。

カストルプ「貴方ドイツ行きましたね。デッサウでしょう」
二郎「貴方はシャーロックホームズですか」
カストルプ「貴方、エンジニア。いつも、ドイツの飛行機の雑誌、見てます。日本のエンジニア皆、デッサウ行く

映画の中でデッサウにあったユンカースの工場を視察して回る二郎が描かれてたんですけど、その中に出てくる旅客機ユンカース G.38は1929年に製造されたようです。バウハウスがデッサウにあったのは1925年から1932年までなので時代背景がモロ被りなんですね。知らなかった。

西千葉Tシャツ 買ってちょ



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