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人は変われるのか、変えられるのか

持って生まれたもの

人はそれぞれ違った性質をもって生まれてきます。その多くは親からDNAという形で受け継いだモノ。足が速いとか手先が器用だとか。同じように人の性格や物事に対する反応も持って生まれたものが大きいと思っています。例えば、新しいことにすぐに飛びつく人もいれば慎重に対応する人もいます。それらは良い場合も悪い場合もあって、前者は「行動力がある」一方で「軽率」かもしれないし、後者は「堅実である」一方で「優柔不断」かもしれない。

それらは育った環境などによって多少影響されることはあっても、ある程度の歳になると固まってくるのだと思います。そしてそれを変えるのは難しい。足が遅い人は、毎日走る練習をすれば少しは速くなるかもしれないが、元々速い人に追いつくのは大変です。本人の「速く走れるようになりたい」という強い願いと強い意志があったとしても変えられる範囲は限られています。

自らを変えていくこと

400mハードルの選手だった為末大さんが「諦める力」という書籍で同じようなことを書いています。自分の能力や特性を見極めてそれに合った場所を選んでいく方が得策だと。自分を変えるのではなく、居場所を変えていく。

ストレングスファインダーも同じような考えで、自分の強みを認識し、それを伸ばすことを重視します。自分の欠点を克服できるほど人生は長くない。それよりも自分の得意なことを活かしていく、それを活かせる場を探していくということだと思います。

なので私自身は「人はそう簡単には変わらない、変えられない」と思っています。なりたい自分ではなく、なれる自分を極めていく。自分のエッジを広げていくには当然努力や意思の力は必要ですが、為末さんの言うように諦めること、居場所を変えてみることも必要でしょう。

そして変わりたいのであれば、何よりも楽しむことが大事かなと思います。楽しければ努力も続くし、できなかったことができるようになった喜びも大きい。

私は学生の頃から楽器を弾くのが趣味ですが、さっぱり上手くならないです(笑)。自分が望むような演奏ができるようにはならないと思うけど、でも演奏自体は楽しいので続いています。そして少しずつ前に進んでいる感覚もあります。

「少しずつだけど、なりたい自分に近づけている」とか「さっぱり近づけないけど、まあでも楽しいからいいや」と思えればいいんじゃないかなと思います。そして楽しめないなら諦めて別の分野で才能を伸ばせば良いでしょう。

負の感情を抱かないこと。冷静に、客観的になること。諦めることを恐れないこと。努力の結果は「向いていない」ということがわかるということかも。それでも本人が続けたければそれはそれで良いんじゃないでしょうか。

他人を変える

自分ではなく、自分以外の人を変えたいと思うこともあるでしょう。多くは身の回りの家族に対してですが、特に子どもに対して躾(しつけ)と称してこうあって欲しいという人間像を投影する。あるいは夫や妻に対して理想のパートナーとしての振る舞いや考え方を強要する。会社組織の中で部下や同僚、時には上司に対しても「こうあるべき」姿を押し付けたくなることもあるでしょう。

ほとんどの場合で「相手を変えたい」という努力は徒労に終わると思っています。なぜならば人はそう簡単には変わらないから。自ら変わろうとしても変われないのに、他人から言われたことですんなりと変われるわけがない。

他人から言われたことに対して人が変わるためには、本人の中に強いモチベーションが必要だと思っています。そして多くのケースでそれは「怒られることを避けるため」だったりします。子供は親から怒られる、部下は上司に怒られる、それが嫌なので考え方や行動を変えようとする。あるいは周りの人に変に思われるのを避けたい、あるいは嫌われたくないということがモチベーションになることもあります。

表面的に言動が改まることによって、その人が変わったように見えることもあるでしょう。ただ、恐れや恥をトリガーに変わった場合、その人が気がついているかどうかは別にして、心に大きなストレスをかけています。そしてそれが溜まってくると心身の不調として現れます。

心理的安全性

では自分の愛する家族やパートナー、あるいは仕事の同僚などに変わって欲しい場合にはどうしたら良いのでしょうか?

自分が相手に変わって欲しいと思っていることを伝えることは問題ないと思っています。ただしそれが押し付けにならないように細心の注意を払わなければならないでしょう。特に立場が上の親や上司からの言葉は強制と取られがちですし、従わない場合に「脅しをかける」ということをやりがちです。「勉強して良い学校に入らないと一生社会の底辺で不幸せに生きることになるぞ」とか「ここで行動を改めないと次の査定でひどいことになるぞ」とか。

その場合「相手のこと思って心を鬼にして言っている」というのが良くある言い訳ですが、例えそうだったとしてもダメだし、大体の場合は(下の立場の従うべき)相手が自分の言うことを聞かないことに腹をたてているだけでしょう。

相手に対してできるのは、自分の願いや期待を伝えることと、相手の言い分を聞くこと。例え理不尽や稚拙な言い訳だったとしても、相手には言い分があれば途中で遮らずにそれを聞くことかなと思います。そこからなんらかの解決の緒が開けるかも知れないし、聞いてもらえたと言う事実は相手側に残る。

最近、職場の心理的安全性が話題になることが良くありますが、相手に「何を言っても怒られない」ということは職場に限らず親子やパートナー間でも大切なんじゃないかと思います。それがあれば「コトに向かう」ことに集中できると思っています。

諦めることは負けじゃない

そして、もう一つ。人はなかなか変われない生き物であることを心に留めておくこと。気長に待つしかない場合もあれば、諦めるしかない場合もあります。本人に変わる気がなければそもそも変わりようがない。

でも、いつかあなたの言っていたことを思い出して、「あ、そう言うことだったのか」とその人を変えるきっかけになるかも知れない。その時あなたはその人の側には居ないかも知れないけど。

そん時に「あの人にはいつも怒られていたな」と思い出されるより「ニコニコ話を聞いていてくれたな」と思い返された方が良いかなと。そんな風に思います。



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