「たかり」をやめれば、夢は叶う。

■正当な対価、正当な報酬

フリーランスで仕事をしていると、常に頭の中で対価の計算が行われるようになる。自分が費やした時間と労力が、そのまま普段の生活に跳ね返ってくるわけだから当然といえば当然だ。

たとえ金銭が発生しない出来事だったとしても「自分はここで何を得ようとしているのか?」「どんなコストを払ってどんなペイを受けたのか?」という感覚が常についてくる。それが意識できなければ、あっという間に行き詰まることになってしまうだろう。

こういう話をすると「そんな利害関係だけで生きていくなんて辛そう」とか「もっと気持ちでなんとかなることもあるでしょう」といった声が聞こえてきそうだ。

もちろん人として生きる以上は感情も大切にしなくてはいけない。あるいは、遊びの要素なしでは、とてもではないが息苦しくて仕方ない。心というものは常に忘れずにいたいものである。

しかし、だからといって気持ちだけで仕事が続くわけではない。先立つものがなければ、やりたいこともやれなくなってしまう。感情面を大切にするためにこそ、常にメリット・デメリットを意識しておかなくてはいけないことは、誰もが分かっているはずなのだ。

にも関わらず、なぜか「結局はお金じゃないよね」「損得だけで生きていくなんて」などという、妙に聞こえがいいワードに飛びついてしまう人は後を絶たない。

ところが、意外に思われるかも知れないが、そんな風に気持ちの話をする人ほど、実は自分が得することばかり考えていることが多いのである。

■ある友人同士の会話

さて、ここである会話を読んでもらおうと思う。ある友人同士の日常会話だ。この会話を読んで、あなたはどう感じるだろうか。読み終えたら少し考えてほしい。

A「今日はどう過ごすの?」
B「特に予定はないから、本でも読みながらゆっくり過ごそうかな。君は?」
A「私は部屋の片付けとかかな……お、手伝いに来てくれる?」
B「えー……」
A「ごめんごめん、冗談。ところで、何読むの?」

さて、いかがだろうか。あなたはどう感じただろうか。

まず真っ先に言えることは、AがBの話を何も聞いていない。雑な会話の流れで一方的に頼み事をし、拒絶の意志を示された途端に都合よく話の流れを戻そうとしているのがわかる。

別に部屋の片付けを手伝ってもらおうと思うこと自体が悪いわけではない。悪いのは、あわよくば手伝ってもらおうとしていたくせに、そのことをなかったことにしようとする徹底した自分都合っぷりだ。

読めばわかるとは思うが、この会話にはAからBに対する尊重がない。そのくせ、断られて都合が悪くなったら「急に頼んでごめんねー、でもあなたも真面目に受け取りすぎですよー」と言わんばかりに「冗談」というフレーズでお茶を濁そうとする。相手の時間と労力を、一方的に奪おうとした自分の失礼については、一切触れずじまいだ。

これはかなり失礼な会話の例としてあげているが、似たようなことをする人は少なくない。こうした人達は「そのへんはお互い気持ちでわかり合おうよ」「対価とかじゃないじゃん」のようなことを平気で言う。「お金じゃなくて気持ちだよね」みたいなことを言う人ほど、こういう行為を肯定したがるフシが多い。相手を尊重してもいないくせに、自分が相手にされない時だけ「気持ち」の問題にするわけである。

こうした行為を表するのに適した日本語がある。

「たかり」だ。

■無自覚のうちに「たかる」人たち

「たかり」という言葉を広辞苑で開くと「おどしたり泣きついたりして金品をまき上げ、また、食事をおごらせること」とある。

それぞれの言葉を分解してみよう。

金品は「時間や労力」に置き換えても差し支えあるまい。泣きつくという言葉を調べると「哀願する」、すなわち情に訴えるという意味がある。

つまり、上記の例は「友人という情に訴えることで、時間と労力をまきあげようとしている」のである。

こう考えると、無自覚に「たかる」人たちは実に多い。

「おどす」という言葉には「おそれさせる」「おびやかす」という意味がある。「断ったらどうなるかわかりますよね?」「私が言っているんだから当然するよね?」はもちろんのこと、「ここまでしてあげたんだから、お返しはありますよね?」という贈り詐欺のような「たかり」も存在する。

実は、私もたまにやらかしていた。自分の善意でやっていたはずが、気づけば相手に対価を求めていた……という、実に恥ずかしい行為である。善意の押しつけは、相手からの信用を失う。しかも、この手の「たかり」は顕在化しにくいから、はっきりと断絶されるわけでもない。「なんとなくあの人嫌だな」と思われておしまいである。

■「たかる」人は「たかられる」人

さて、では「たかる」人とはどんな人だろうか。自分の都合しか考えない悪人だろうか、あるいは他人の気持ちがわからないサイコパスだろうか。実はそんな人達は、むしろもっと狡猾に利益を得ようとする。最後まで気付かれないように綿密に計画するか、あるいは堂々と犯罪行為に及ぶだろう。

意外かもしれないが「たかる」人は、普通の人に多い。

そもそも「たかる」という行為は「これだけ毎日頑張っているんだから、自分だってもっと得していいだろう」という感情がゆえに起こるものである。つまり、現状に物足りなさを感じているからこそ、「たかる」ことをさせてしまうのだ。

では、そんな人達はいったい毎日どんなことに頑張っているのか。

実は彼らは、周りから「たかられる」人でもあるのだ。

毎日のサービス残業であったり、終わることのない家事であったり、負荷のかかる人間関係であったり。わかりやすいものもあれば、人から見れば大したことがないように思えるその全てにおいて、人々は「たかられている」のである。

時間を取られ、労力を取られ、精神をすり減らされ。そんな人達が、つい「私にだっておこぼれがあっていい」と感じることを、私は否定できない。しかし、それが結果としてお互いの足を引っ張り合うような「たかりあい」になってしまっては、この世の地獄が出来上がるだけだろう。

■「たかり」のループから抜ける

「たかる」ことをやめようと思っても、実は難しい。「たかられる」ことが多くなると、心の負担はどうしても増えてしまう。その負担を減らすために、無自覚に「たかる」ことは、理性だけで止めようとして止められるものではない。ではどうしたらよいか。

まず第一段階として、自分自身が「たかられる」ことに慣れてはいけない。自分の時間や労力を不要に差し出してしまってはいないか、あるいは精神的にしんどいことを強いられていないかを考えてみよう。自分の中で整理をするだけでも、ごちゃごちゃになった部屋が片付くように、心が楽になるはずだ。

可能であれば、そうした人間関係も整理できるとなお良いだろう。とはいえ、会社の人間関係や長年の友人など、そうそう簡単に手を付けられないこともあるだろう。そういう場合は、少々あくどい方法も考慮してみよう。たとえば、何か頼み事をされた時に「どうしようもない理由をつけて断る」をオススメする。

内容はなんだっていいが、家族にまつわることだと伝えやすい。「親戚の叔母さんが急に倒れたらしくて」なんて内容でも構わない。そこで引いてくれれば、話は理解できる相手だ。少しずつこちらの本音を伝え、うまく相談してみよう。まあそんな相手だったら、あなたも最初から悩まないかも知れない。

問題はそんな話が通らない相手だった場合だ。とはいえ、それが友人・知人のレベルであれば簡単である。あなたの親類に何かあっても、考慮してくれないような人だということが判明したのだ。さっさと切ってしまう理由が出来た。悲しいことではあるが、その人が求めているのはあなたでなくてもいいのだ。今すぐ連絡先を削除しよう。

仕事の関係で付き合いがある人だと、これは困る。そうそう簡単に距離を置けるものではない。ましてや、取引先との板挟み……なんてことは、よくあることだろう。ここでも重要なことは「どうしようもない理由を作る」ことである。忌引などがちょうどいい。あなたがいない間に仕事が溜まっていれば「仕事を分散させられない無能な会社」であり、まずもってそこにいること自体が危険だ。あるいは、休ませることに嫌そうな態度を取る会社などは、今後の人材管理に問題が発生する。いずれにせよ、あなたがいるメリットがない。

私のようにフリーランスで働いていると、なかなか替えがききにくいことも大いにあるだろう。だからこそ対応は同じである。

あなたの足元を見てくる人間はみな「たかる」人間である。そしてそんな人間は「たかられる」構造から抜け出せない。いずれは消える取引先など不要だ、さっさと離れよう。

ここで重要なのは、現在の状況だけにとどまらない。過去にされたことが今の自分に影響されているというパターンもよくある。目を向けるべきは今の状況だけではない。つまり、過去に自分がされてきたことも思い出したほうがいい。実は、こちらのほうが根深い原因になっていることも多い。

たとえば、親や先生だったり、昔の恋人だったり、学生時代のクラスメイトだったり。今思えば懐かしいと思う人だったとしても、よくよく思い出すと腹の立つことは無かっただろうか。あなたは、無自覚に「たかられていた」のではないだろうか。

この時「たかられていた」記憶が無意識に刷り込まれていると、これは厄介だ。まず、日常生活で何故か精神的に消耗する。周りの人がみんな自分に対して「たかる」人に見えてくる。そうなってくると、今度は自分が全く無関係の相手に「たかる」行動をしてしまう。

具体的に相手が想定できたほうが、かえって対処はしやすい。こういう経験が自分にないか、改めてチェックしてみよう。そして、その時の怒りを吐き出しておくのだ。たかが気持ちの整理だが、思った以上に効果はあるはずだ。

■「たからない」人は成功する

「たかる」ことをやめると、どうなるか。

まず、他人に簡単に甘えることをやめるので、自分の力で何かを手に入れようとする力がついてくる。これは肉体的にも精神的にも言えることだ。最初こそしんどいかも知れないが、ベースの体力がついてくると後は早い。自分の頭で考え、自分の体で行動し、人と接するという行為を繰り返してみよう。

すると、今まで「たかられる」ことを嫌がって回避していた人達が戻ってくる。すぐにではないにしても、信用は少しずつ回復してくる。今まで手に入ることのなかったチャンスが巡ってくることもあるだろう。

そしてあなたはいつの間にか、自分の夢を叶えることが出来ているに違いない。

まるで夢物語のようだが、あながちウソではない。成功者は自力がある人しかいないし、頼り方もうまい。決してそこに「たかり」の構造は存在しない。すぐさま成功者になれる、と嘯くつもりはないが、決して間違いではないだろう。仮に夢が叶わなくても、随分と良い人生を送れるようになるはずだ。

人生がうまく行かなかったり、不満を抱えている人は多い。でもその理由は、自分の「たかり」精神にあるのかもしれない。

「たかり」をやめよう。そうすれば、あなたが叶えたい夢は、向こうから近づいてくるかも知れない。

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草彅健太(くさなぎけんた)
フリーランスで活動しております。ご支援いただくことで、私の活動の幅が広がり、より良い言葉をお届けできます。よろしくお願いいたします。