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「LinKAge~凛国異聞」感想

「LinKAge~凛国異聞」4/26(日)19時。望月さんから強く強く強く誘われ、此れは是が非でも伺わなければと思い、足を運ぶ。まず物語へと誘う講談師親子の語り、其処から殺陣・アクションの連続。只事ではない、とてつもないものを観に来たのだと此処で実感。

当たり前のことではあるが、まず舞台装置からしてよく練られている。真ん中に仕込まれた階段と両脇の場との小さな差が、登場人物の関係性と物語の流れを簡潔に理解させてくれる。そして壮大で繊細な音楽と的確に展開を盛り上げる照明。良い舞台に欠かせない要素が凝縮。

かつてどこかに存在した、語られることのない凛の国の物語。其れを講談師の親子が語る……という下りだけで私はもうワクワクしていた。しっかりとした骨子によって組み上げられた、ぐいっと引き込むの濃密なストーリィ。厨二病こじらせてる私には堪らない。

そして役者陣の皆様があまりに芸達者すぎて。一つ一つの所作や台詞回しが、凛の国という存在を明確に想起させ、在る筈の無い歴史に肌身で触れられさせてくれる。そんな不思議な感覚に囚われる。ここから各役者さんの感想を簡潔に。

雪の弱さを克服していく様は、胸に来た。あの絶望的な叫びは、声優としても活躍される野水さんならでは。同じく絶望に打ちひしがれた刃の心を体現した狂い方は、ダンサーであるゲッツさんの真骨頂。動画いつも見てます。山本さんとのルカルカ大好きです。

鷲はけったろさんの愛される感じが見事にマッチしてた。其れだけに、だからこそ、あの後半から終局に向かうまでの哀しさが際立った。鉄はズルい。体も心も強く、曲がろうとも折れることはない。正しく「はがね」のように。鬼丸さん、カッコよすぎる。とても流星揚羽で漫才してた人とは思えない。

今回の舞台において、薊ほど哀しい役はない。川渕さんが女優として素晴しければ素晴らしいほど、其の差が苦しくて切なくて。千鶴可愛かった。何も解っていないようで、大事なことを見据えている姿は、巽と重なるものがあった。タカオユキさん、目が強かった。

狂う役というのは、実は難しい。白蓮は阿呆ではなく、意志を持ち狂った。秋山さんの狂いは、ゾッとした。慈仙法師の強かな悪は、しかし人が誰しも持ちうる者ではないか。認められず、迫害され、其の力を誇示しようとする。誰しもそうなりうる。沙汰青豆さんの悪役っぷり、見事でした。

揚禅は強い。しかし仕える者であるが故、外方者を嫌っていた。仕える先を失わせることも、凌羽の目的だったのかもしれない。新八さんの殺陣と気迫、イケメンでした。静は優しさを、信じることを曲げない強さを持っていた。飲茶娘さんの何気ないシーンの演技が、かなり印象に残っている。

牙も薊同様に哀しい。戻れば誰もおらず、騙られ、踊らされ。しかし、彼がいなければ薊を終わらせることは出来なかった。藤田さんの最期の震えは、胸を打った。居場所を求めた秋水は、居場所の作り方を鉄から教わった。常に其の先を見ていた。松尾美香さんの殺陣は圧巻。凛として、綺麗。

本作で最も強かった男、凌羽。江本さんの演技もまた、一部の隙もなかった。最後に崩れ落ちる、其の瞬間まで。ただ戦いを望み、しかし筋は通す男、虚士郎。死にゆく桜野への礼は、此の男の本質を表していたように思える。長尾一広さんの戦闘者たらんとする姿が凛々しかった。

見上げる巨体、豪放磊落、しかし真実を見通す男。巽は正に日が昇り天の届かんとする其先を照らす男だった。鬼門を其の名にする艮が、兄貴と慕うのも当然だ。しかし鬼門は鬼だけではなく、神も出る方角。此の不安定さは、正に艮らしい。最弱にして最も外方者らしい人間。

小菅さんは流星揚羽の公演でも思ったのだが、繊細な演技が本当にお得意。大きな姿につい圧倒されるが、其れ以上に演技の丁寧さに安心感すらある。しかし望月英は本当にズルい。飄々とした三枚目と、逃げずに貫く男を見事に演じきる。千鶴に魅せた笑顔なんて、役者望月英の真骨頂だよ。

桜野もまた、運命に翻弄されながらも強く生きた。彼女に押され刃は進んだ。日高望さんの痛々しいあのシーン、役者魂を見ました。物語で最も悪であった雲角だが、彼は人と違う自由を謳歌しただけに過ぎないのかもしれない。しかし三橋さんのクズっぷりたるや、楽しかったんだろうな。

管然と胡蝶の夫婦は、実はとても身近な存在。彼らを憎々しく思うことは出来る。しかし彼らと同じ立場になった時、同じ行動を取らずにいられるだろうか。悪は対立概念ではなく、誰もが持ちうるもの。玖道さんと内野さんが丹念に演じる小市民ぶりが、其の身近さを際立たせてくれた。

鍛冶丸、弥太郎、一郎太。運命に翻弄され、逆らえなかった男たち。最期に鍛冶丸が鷲に掛けた一言は、実は鈴にこそ必要だったのではないか。代表加東さんの、男の強さと弱さを孕んだ芝居に泣いた。安宅さん、伊勢参さん、杉山さんは日常と非日常の切り分けが素晴らしかったです。文字数

講談師親子は、あくまで物語の外で物語を語る存在。其れ故に自由であり、しかしもっとも重要な存在。山本さんのビシッとした回しに混ぜるモノマネに大笑い。例の作品名を言った瞬間「言いやがった!」と思いました。大西さんの天真爛漫でありながら決めるとこ決める言葉遣い、素敵でした。

また、アンサンブルの皆様も本当に素晴らしかった。誰一人として只のモブではなく、凛の国に生きる者として、生き切っていた。一言一言の些細とも思える台詞に、倒される其の瞬間に、命が息づいていた。

上げればキリがないので、個人的にグッと来たシーンを最後に2つ。まず、静と千鶴が2人待つシーン。互いに只一度だけ顔を交わした存在。其れでも、外方者の強い絆を間近で見たからこそ、待つことを選んだ。泣きそうになりながら、折れそうになりがら。其れでも、2人ならと。

そして、講談師について。ドラマや舞台には、物語に直接介入はしないメタ的な存在がしばしば登場する。其れがおかしい訳では決してないのだが、今回の講談師という役割については膝を打ってしまった。物語を語る者が、何故物語を語るのか。其の理由までも物語に組み込むとは。痺れた。

全体を通して「強い者が何故強くあろうとするのか」「弱いものがなぜ弱いのか」「正義と悪、そして信念」を問われる作品であったなあ。選んだ未知を責めることは出来ないし、してはならない。其れは、相手が自分であったかもしれないから。自分なら、其の選択ができたのかと。

作品そのもののテーゼとしても其れは見えたし、また管然と胡蝶の存在から観客に気づかせようとするような仕掛けにもなっていたのかもしれない。考え過ぎかもしれないけれど、凛の国の人々が生きた其の様から、私はそう感じた。「そうじゃなきゃ、あいつらがかわいそうだろ?」

3時間という長尺でありながら、まったく時が経つのも忘れて堪能。人前で喋ることを生業とする人間として、否が応でも心を揺さぶられる、本当に素晴らしい芝居を魅せていただきました。熱く濃密な時間を、ありがとうございました!

ほんとに最後に個人的に。望月英を、同じ舞台の上で見たいと思った。其れくらい熱かった。

また、当日パンフレットを買いそびれているため、自分の記憶と公式サイトを頼りに文章を書き上げています。誤りがありましたら、お詫びして訂正致します。個人の感想ということで、どうかひとつ。

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