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恐るべき「非武装中立」

日本における社会党の「非武装中立論」(1970~80年代)の回想
ー今回のウクライナへのロシアの侵略を受けてー
日本における「思想的間接侵略」とそれに対峙した専門家たち


【ロシアの「非武装中立」の言いがかり】
「非武装中立論」とは、今回のウクライナ侵略に関するロシア・プーチン大統領の言い分、つまり、ウクライナを非武装化し中立にする(西ウクライナの言い分通りNATOとEUに入られたらいやだから、経済的にも武力的にも実際にはロシアの傀儡にする)ということでした。よその主権国家に非武装だの中立だのつべこべ言うこと自体が論理破綻ですが。


【日本社会党の「非武装中立論」】
そして、私(北上セミナー 佐々木伸一)が小学校のころ(1980年代です)、日本社会党が「非武装中立論」を唱えていて、社会党を支持する会社系・公務員系の人たちがずいぶん賛同していたことをまざまざと思い出しました。組合を支持する先生方も賛同していたような・・・。


【ソ連アシストによる社会党の「非武装中立」】
当事の日本社会党は向坂逸郎老人を中心とするソ連の影響を受けた左派(社会主義協会派)が牛耳っていたため、この理屈が出てきたのだと思います。当時国会第2党の社会党の委員長(党首)自ら著作や国会で堂々と「非武装中立」を言っていたのですから。


【当時のソ連の狙い】
ソ連が日本を「非武装中立」にするメリットは、日米安保条約を廃棄させ日本へのアメリカの影響力を排除し、武装解除して日本の生殺与奪の権利を我が物にして、領土問題もなかったことにすることでした。そうすれば、当時対立していた中国に対しても、また韓国に対しても、太平洋戦略上も、ソ連は優位性を得られるはずだったのです。


【今も変わらぬロシア・ソ連の戦略ドクトリン】
今回のロシアの動きを見ていますと、対外的戦略ドクトリン・主張がソ連時代とほとんど変わらないと痛感させられます。北海道と東北や北陸の日本海側や津軽海峡でロシアと対峙する日本もウクライナのケースを踏まえ、今一度北方への備えを考えなければなりません(もちろん、北朝鮮や中国の動きを踏まえますと対馬以南の西南日本へ自衛隊を強化しなければいけないことは十分わかっていますし、日本の国力にも限界があることも百も承知していますが)


【70~80年代に万一社会党政権が成立していたら】
また、社会党(を中心とする連立)政権があの時点で日本で成立していたら、日本は間違いなく(ウクライナの様な抵抗など全くせずに)ソ連・ロシアの軍事的影響下に置かれていたはずなので、そうなっていたらと考えますとゾッとします。70~80年代当時のソ連・ロシアはアメリカ合衆国だけでなく中共とも激しくやりあっていましたから、ぜひとも韓国や日本を自らの勢力圏に収めたかったから、日本を「非武装中立」にしたかったのです。


【ソ連や中国の「思想的間接侵略」に毅然として戦った日本の専門家たち】
日本がそうはならなかったのは、社会党や左派学界・マスコミを使ったソ連(中国)による「思想的間接侵略」(国内における隠れた冷戦・思想的内戦)に毅然として対峙し、立憲君主制と民主体制を守った専門家たちがいたからでした。


【社会党政権を阻止するための「三公社五現業」の民営化と「政界再編」】
その専門家たちが仕掛けたのが

・通信インフラを担う電電公社

・輸送の基幹をなす国鉄

など、ロシアソヴィエトが影響力を持つ左派系労組が仕切っていた国営現業企業の解体と民営化だったのでした。

また、

・日教組の弱体化

・日産など大企業からの「労働貴族」の追放

も同じ時期に行われたのでした。

そのうえで、労組としての「連合」を誕生させ、政界再編をして社会党を弱体化させたのでした。1980年代後半から自民党政権が極めて流動化し、1990年代に細川政権が誕生し、村山政権に至る数年間短命政権が続いて結果的社会党の弱体化⇒消滅につながったのは、この流れが成功したからだと思います。


【次回以降】

次回以降は、この時代の専門家たちの動きをまとめていきたいと思います。

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