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2年前、私が会社の”ウソップ”になった日。

2021年、元旦。
私は立体駐車場の頂上にいた。

5階建てのパズル型駐車場のてっぺんで、錆びてしまったチェーンが外れてしまったことで車がパレットごと傾く事故が発生。
私は事故対応のために緊急出動へ向かっていた。

当時の私は勤続1年を迎える前だったが、この頃すでに緊急出動は単独で対応するように会社から指示されていた。
しかし、傾いた状態で空中に浮いた車1台を正位置に直すことなど到底できるはずもなく、結局先輩に応援にきてもらいなんとか事故対応を完遂した。

「まだ一人で対応できないのか」と上司から叱責された。
助けてくれた先輩からは気にするなと言われていたが、心身ともに限界を感じていた。

当時の会社ですでに5社目。
自分に合わないからと職を転々としていたが、ステップアップとは程遠い経験ばかり積んでいた。
もう次はないかもしれない。
不安と背中合わせになりながら転職先を考えていた。


実は、過去に退職した会社で「自分に合わないから」ではない理由で離れた職場がある。
海外留学を理由に勝手に飛び出したのだ。
結局、諸事情で海外には行かなかったのだけれど、転職した後もその会社を悪く言ったことは一度もない。
飲み会などで「過去の仕事で辛かった話」になったときでさえ、「あの会社は良かった」と一人勝手に思い出話に花を咲かせるほどだった。

とはいえ、自分勝手な理由で飛び出した会社にまた戻らせてくださいなんて、そんな恥ずかしいことを言えるわけがない。
アラサーにふさわしくないほど青臭い私のプライドは、頭を下げてお願いすることを許さなかった。
仮にその意志を伝えたとして、会社側が迎えてくれる保障もないと一人で腐る。
ちっぽけすぎる自尊心が、目の前を覆い隠していた。


日を追うごとに退職の意志が固まっていく一方で、人生の行く先がまったく見当たらない状態が続く。
そもそも自分がどんな仕事をしたいとか、何ができるのかとか、新卒の就活で済ませておくべきことが、私はいまだによくわかっていなかった。

終わりのない不安に苛まれる中で、ひとつの結論にたどり着く。
「何ができるかわからないんだったら、とりあえず自分が一番ラクだった環境に身を置けばいい」
何か吹っ切れたような気がした。

そこからの行動は早かった。
LINEに残っていた上司の連絡先を引っ張り出し、何年ぶりかに送るテキストを打ち込んでは推敲する。
さすがに肝心なことは電話で直接話した方が良いだろうと思い、まずは電話できる日程をうかがう。
すると、その日のうちに連絡してよいということになった。

予想を超える展開の速さに少し慌てたが、こちらからお願いしていることなのでそのまま連絡日時を決めさせてもらう。
予定時刻にLINE電話をかけるとすぐに応答してくれた。

「ご無沙汰してます!突然の連絡なうえに夜分遅くすみません!」
「久しぶりー。どうしたの急に」
当時から良くしてくれていた上司だったが、変わらず人当たりの良い声色で対応してくれる。
自分の近況報告や、私が退職した後の会社の状況など一通り話したころ、上司から一石が投じられた。
「で、実際どうしたの」

「実は、今の仕事で心身ともに限界を感じてまして……。別の仕事がないか探してるところなんです。」
「それってつまりどういうこと?」
電話越しでも伝わる緊張感があった。
「……またコイヌマに戻りたいと思ってるんですが、なんとか面談だけでもしてもらえないでしょうか……!」

それだけはあなたの口から言わせないと、と思ってたんだよね。

それだけ言うと、また最初のほがらかな雰囲気に戻って話しはじめた。
おおよその面談スケジュールをすりあわせ、予定が確定してからまた連絡すると言われて終話した。
後から上司に聞いたのだが「電話する前から大体の要件はわかってたけど、こっちから手を差し伸べるんじゃなくて本人の口から言わせないとダメだと思ってた」とのことだった。


過去に勝手な理由で会社を飛び出した私の採用判断にあたって、上層部では少なからず意見が割れたらしいが、先の上司が社内で強く推してくれたこともあり、無事採用が決定し株式会社コイヌマへの再入社を果たした。

ウソップのようなかたちで、改めて会社のクルーとなった私。
外で培ってきた知識とスキルを発揮するだけでなく、会社にとって新しい種を育てることを見据えながら、社会の荒波へと向かっていきたい。

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