子供の頃に欲しかったおもちゃに、固執してるかもしれない
うちの子供は二人とも夏に生まれた。
だから、欲しいものがあったら、夏前なら、
「誕生日の欲しいものリストに書いときな」
冬前なら、
「クリスマスの欲しいものリストに足しときな」
と言って、その時期以外は、ほとんど何も買わなかった。
まあ、だいたい数ヶ月待てばプレゼントもらえるってタイミングだし、子どもたちも、そういうもんだと思って納得していたと思う。
そして、いよいよ、誕生日&クリスマスが近づくと、親戚一同、
「今年のプレゼントは何がいいの?」
と私に聞いてくる。
「みんながプレゼント、何がいいのか教えろってさ」
一年中、「欲しいものはリストに......(以下略)」と、言われ続けて、年がら年中ろくに何も買ってもらってないのに、急に、「さあ、欲しいものを言え」と言われるもんだから、毎度毎度、子供たちはパニックになる。
頼みの綱の欲しいものリストも、実際に買ってもらえる時が来たら、だいたい本人の中で、すでにブームが去っている。
そして、結局、「なんでもいい。ママは私たちの好きなもの、わかるでしょ(怒)」と、こっちに丸投げされてしまう。
知らんがな。
いや、小さいうちはよかったのよ。
「プリキュアならなんでもいいです」
「恐竜か、ポケモンか、車輪がついてるもの全般で」
とか、確かに把握できていたから。
でも、ある程度、大きくなると、何気にムズい。
うちの子たちは、趣味がありそうで、あんまりない。
ゲームもファッションもさして興味がない。
私が小さい頃は、欲しいものばっかりだったのになあ。
カナダと違って、誕生日とクリスマス、自分の好きなものが一個だけ買ってもらえる昭和っ子にとって、プレゼントの取捨選択は死活問題だった。
そんな私は、サンタが親だってことに、とうに気づいてたけど、それ言っちゃうとプレゼントがもらえないかもしれないと思って、
「サンタさん、くるかな〜。リカちゃん人形もらえるかな〜」
なんて、小芝居したりしてた。
でも、ある年、頼んでたリカちゃんじゃなくて、そばかすだらけの変なおさげのバッタもんの人形が枕もとの包みに入ってて、その瞬間、父親に向かって「これじゃなーい(怒)!」って、くってかかったことがある。
ま、その時点で、サンタを信じてないのがバレバレなわけだ。
どうせ母親にお使いを頼まれた父親が、そこら辺で適当な人形を選んで買ってきたに違いない、と意地汚い私は、素早く察知したのだ。
案の定、父親の仕業で、うだうだ言う父親を次の日デパートに引きずって行って、リカちゃん人形と交換させたという淡い思い出を持っている。
そして、うちは前にも書いたけど、本だけは豊富に買ってくれる家だった。でも、本好きは私だけだったので、その恩恵に預かるのも必然的に私だけだった。
小学校2年生のとき、母親に、
「今度の誕生日、〇〇(私)が、すっごく喜ぶもの買ってあげたよ。楽しみにしてて」と言われ、
「とうとうリカちゃんハウス、買ってもらえるのかな? それとも最新式のキャッシュレジスターかな?」と、ワクワクしながら、その日を待った。
しかし届いたのは、『子供のための文学全集』しかも高学年向け、だった。
私はまたも泣いて暴れた。
「本は好きだけど、本だけ好きってわけじゃない〜」
しかし、「もう、買っちゃったんだから」と母親はけんもほろろ。
もちろんその本は読んだけど。
そして、結局、なんだかんだリカちゃんハウスもキャッシュレジスターも手に入らないまま、大人になってしまった。
今思えば、やれシルバニアだの、本物志向のキャッシュレジスターだの、自分が満足に買ってもらえなかったおもちゃを、娘に率先して買ってあげてた気がする。
そして、それは元旦那も同じだったかもしれない。
ある日、吉祥寺で旦那(当時)と、二手に分かれて買い物を済ませていたら、電話がかかってきた。
「おもちゃ屋の閉店でレゴのセールやってる。いますぐ来て」
ただならぬ雰囲気を感じて、とりあえず自分の買い物を切り上げて、娘と息子と共にその閉店するというデパートに向かった。
チン。
おもちゃ売り場の階でエレベーターのドアが開くと、そこに旦那が、真顔で仁王立ちしていた。
両脇にでかいレゴの箱を二つずつ抱えて。
それから、国連か何かの演説かと思うほどの熱量で、
いかにレゴがセールになることが珍しいか、
その品質の高さゆえに、自分が使っていたレゴがいまだに現役で使えることとか、
いまだに実家には自分のコレクションが手付かずで残してあることとかをプレゼンされた。
「買えばいいじゃん」
あっさりそう言うと、元旦那は、目をぱちくりさせてた。
私はあなたの母ちゃんじゃないし、腐るもんでもないから、とっといて順次、クリスマスやら誕生日に回せばいいじゃん。
私もレゴ、嫌いじゃないし。
それから、元旦那は、嬉しそうに、慎重に、慎重に吟味して、でかいレゴを三つ買っていた。
やっぱり、自分が子供の頃のおもちゃ、特に買ってもらえなかったやつって、どこか特別な想いとともに、記憶のどこかに残っちゃってるんだろうなあ。
そう思いながら、子供達の今年の誕生日のプレゼントを決めあぐねている。
〜終わり