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智慧と忍耐

 仏教の教えは実に様々です。

これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す

という「縁起」の道理をはじめ、苦・集・滅・道の四(聖)諦もお釈迦さまが説かれた教えとして有名です。

 この世はなかなか思い通りにいかないものです。われわれは、自我というものがあると錯覚していて、そこから抜け出せないが故に、苦しみが生じてしまうのです(苦)。自我から抜け出せないのは、過去の行いとか煩悩が原因である(集)わけですが、行動や心を変えていくことでその煩悩を滅し(滅)、苦しみのない安らかな境地に至る方法、実践がある(道)のだ、とお釈迦さまは説きました。

 苦しみのない安らかな状態(涅槃)に至る道は、「八正道」として示されています。

 正見(正しい見解)、正惟(正しい思い)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい気づき)、正定(正しい心のあり方)の8つです。

 これを実践していくことで、煩悩を無くし、苦のない安楽な涅槃の境地に到達できると説いたのです。

六波羅蜜

 大乗仏教になると、「六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ)」という実践項目があげられるようになります。

 1.布施 自分のことはさておき、利他のはたらきをすること

 2.持戒 戒律を保つこと、良い習慣を身に付けること

 3.忍辱 忍耐のこと、耐え忍ぶこと

 4.精進 勤め励むこと

 5.禅定 精神、心を統一し安定させること

 6.智慧(般若) 物事を正しく知ること、真実を悟ること

の6つですが、布施であれば布施波羅蜜というように、それぞれに波羅蜜という語がつきます。波羅蜜は「完成」や「最高の状態」という意味を表すので、「布施波羅蜜」は「布施の完成」と訳されたりします。

 ただ、それでは少し間違って意味を捉えられかねないので、「完全な布施」という訳の方が良いともいわれます。般若波羅蜜ならば、「完全な智慧」。修行者は、完全な布施、完全な持戒、完全な智慧等を実践していく、ということになります。

マインドフルネス

 近年、アメリカに端を発したマインドフルネスブームが日本にも広まっているようです。マインドフルネスとは、心や意識が散乱した状態から抜け出て、「今ここ」に意識を向けていることを意味します。

 曹洞宗の坐禅からインスピレーションを受け、アメリカ人の医師がマインドフルネス瞑想として医療の場に応用したことが、このブームのはじめとされますが、今ではビジネス界にも広まり、大手IT企業が社員のために取り入れたりしています。マルチタスクで多忙な生活が当たり前となっている中、心を落ち着かせて、自分自身を見つめる時間が大切であると気づき始めたということなのでしょうか。

 このマインドフルネスmindfulnessという語は、先に示した八正道の「正念」の「念」の英訳として与えられています。というより、「念」もインド語で説かれた経典の漢訳であり、元をたどればパーリ語のサティsatiの訳語となります。

 サティは元来、「記憶」とか「思い浮かべる」「思い起こす」などの意味の言葉で、転じて「注意」や「気を付ける」の意ともなっています。八正道にこのサティが組み込まれているように、仏教修行においては、心や意識が散乱しているのではなく、今この瞬間瞬間に注意が向いていることを重んじているのです。

 初期仏教で八正道が、大乗仏教では六波羅蜜が示されました。その内容には、瞑想によって心を落ち着かせることや、今ここに意識が向けられていることを重視しますが、同時に良い習慣を保つことや自分の利益よりも他者のための行いを優先する布施の精神をもつことも必要とされます。

 瞑想的な側面だけでは、仏道は完成しないということがいえます。

智慧と忍耐で心を鍛錬

 近頃は、マインドフルネス瞑想が万能なもので、これに取り組めば悩み苦しみから解放され、集中力や判断力などが身に付くといったことが書かれたビジネス書やネット記事がみられます。

 しかしながら、正確には先に示したように、マインドフルネス(サティ、念)は「八正道」のうちの1つに過ぎず、心を養っていくには、良い生活習慣を身に付け、正しい物事の見方を学び、智慧や忍耐をもって対象物に向って行くことが必要です。六波羅蜜にあるように、「智慧」と「忍耐」は非常に重要だと思います。

 仏教ではないですが、二ーバーの祈りには 

変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

とあります。

 変えられないことに不平不満を言うのではなく、それを受け入れ、そして、変えられることについては、それを知識や行動力でもって変えていく力が大事だといえます。また、その両者を見極める力も大事です。

 仏教では、自分自身の力と、仏の力と、この世界の力の、3つの力を説くことがあります。自分の努力とか仏教への信心はさることながら、仏さまの不可思議な力というものがあり、さらには我々の認識の範囲を超えた力がこの世界にははたらいていて、「縁起」によって自分たちに様々に影響を及ぼしているという考え方です。

 私自身は、この3つの力があることを理解し、これを智慧に活かした生き方を心掛けています。自分自身の力だけでは生きていけませんし、周りの人たちのおかげで生きていられます。また、人間ではとうてい理解できないものからの影響を受けつつ、我々は生きています。少しでも苦しみから解放されるためには、こういった智慧を身に付けることが肝要です。

 「少欲知足」という言葉があります。困難に出会い、自分ではどうにもできないと判断した時、その現状を受け入れ、その状態で満足することは「足るを知る」ことです。欲は果てしないですから、「知足」が身に付けば果てしない欲から解放されます。

 また、例えば、怒りの感情が湧いてきたとき、その怒りに任せて人や物に当たってしまっては良いことはありません。物が壊れたり、人との関係が崩れたりとだいたい悪いことを招いてしまいます。

 智慧をもってすれば、そういった行動に進んで行くことはないはずです。ただ、感情をコントロールすることは難しいものです。そこで、「忍耐」が重要になってきます。智慧だけだと対処しづらくとも、忍耐がわれわれに力を与えてくれます。

 ここで少し踏ん張って耐えることができれば大丈夫だ、と忍耐の気持ちをもつことが大事です。忍耐というと辛いだけのことだと思いがちですが、忍耐することによって、後々には自分にとっては良い結果が待っているのです。

 怒りに任せて攻撃してしまった場合と、忍耐によって耐え忍んだ場合とでは、後の状況は大きく違ってくることがあります。そういった想像をはたらかせるのも1つの智慧です。

おわり

 瞑想によって、心を落ち着かせること。マインドフルネスで気づきを得ること。これらはとても大事なことですが、仏教からこれらを抜き出すだけでは、悩み苦しみからの解放とはなりません。

 心を変えることは難しいもので、まずは習慣から見直し、良い習慣を身に付けること。同時に、マインドフルネスを意識し、気づきを得、心を安らかに。そして、智慧と忍耐をもって根気強く生きていく。

 修行僧でなくとも実践できることです。

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