自分らしさにモノはいらない
現代を表すキーワードとしてでてくる言語は
「消費社会」「情報社会」「大衆社会」というワードです。逆に言えば「近代」ではでてこなかったキーワードとなります。
戦後~1960年代までの<消費>とは、「みんな同じ」でした。
三種の神器(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)をみんなが買う。その後は3C(ColorTV・Car・Cooler)を全員同じように買い求めました。この時代は消費だけではなく、価値観も思想も生活スタイルも<みんな同じ>という同質性が非常に求められた時代でした。と同時に、国民もそれを願った時代でした。
そして迎えた70年後半~80年代では三種の神器や3Cは、だいたいの人が手にしました。そうすると変化が起こります。人は「消費」に自分らしさを求めだしました。
例えば、まず腕時計。もはや腕時計を「時間を見るため」に購入する人はほとんどいないかと思います。みんなが腕時計に求めるモノは「自分らしさ」でした。アウトドアなキャラクターの人は「Gショック」であったり、IT系は「ハミルトン」であったり、高級志向は「GUCCI」であったりと、モノは自分を表現するものになりました。「車」も同じですよね。むしろ「交通手段」をいう人もいますが、大量に酒類もデザインもある時代では「どの車が自分らしいか」というところも価値観として存在します。
高級ブランドバッグにしても、単にモノを運ぶための道具ではなく、デザインの職人技に感銘を受けたよりも、そのブランドをもつ事による「自分のセンス」「経済的余裕を他者に示す為」が目的になる事もありました。この時「ブランドのバッグ」は<センス><経済的余裕>などを意味する<記号>として機能します。そしてその人はその記号を使って<個性を演出>している事になります。
簡単に流れをまとめると、
モノがないとみんながモノが豊かにある事が幸せだと信じる(唯物論)
モノが流通しだすと<みんな平等>にモノがいきわたる事を望みそれが幸せだと感じる(三種の神器・3C)
モノが豊かになると、モノに自分らしさを求めだす(アイデンティティ)
そして今。我々の生きる今日。人間の欲望は終わりを見せない中、資源や自然環境に終わりが見えてきたという事です。
さて、昨今では「自分らしく」というキーワードがでてくるようになりました。
ブランドをもっているのがあなたらしさでしょうか?
高級車に乗るのがあなたらしさですか?
高級マンションに住んでいるのがあなたらしさですか?
いや、違うのではないか。と思う
もう我々は、モノを使って自分を表現するのはやめてもいいのではないかとも思う。
あなたの声に癒される人・あなたの優しい言葉遣いに救われる人・あなたのメッセージで人生が変わる人・あなたの生き方を背中から見て啓発された人・あなたの笑い方にスッと救われる人・あなたの真面目さに影響を受ける人
そんな人も、もしかしたらいるかもしれません。
我々は、モノがなくても幸せに生きていけるはずなのです。
コロナウイルスが、そのメッセンジャーになったと僕は考えています。
今、いろいろな事を深くまで考えてみる良い機会なのではないでしょうか
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