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#31『エヴォリューション』

殴り書きのようなエッセイとは長らく距離をとっていた。
と言うのも、殴り書きでは到底太刀打ちできない文章と向き合っていたからだ。
あるいは、文章よりももっと内省的な自己の問題を相手にしていたのかもしれない。

とにかく僕は死に物狂いで、10万字程度の小説を書き上げた。
その生命力を持った作品を、河出書房新社が主催する新人の登竜門、文藝賞に応募した。

作品を書き終えた今、期待や不安や興奮などはそれほど無く、奇妙な安心感だけが心の割合を大きく占めている。
やり切った感覚と逃げ切った感覚が喧嘩をしながら同居しているような心情だ。
何かを完成させるとは、相反する感情による葛藤の連続なのかもしれない。

とりあえずは、ウィスキーソーダを飲みながら、ロックンロールのレコードを聴いて、適度に自分のことを褒めてやろうと思う。
ザ•ホリーズという60年代のイギリスのロックンロールバンドのレコードを奮発して買ったので、暫くは健康的に過ごせそうだ。

それにしても、信じられないくらいの集中力で執筆に没頭していた。
2021年が到来したと同時に、何か気持ちの悪いものに取り憑かれたような気分だった。
生活の中の一部として執筆が存在すると言うよりも、執筆の中に生活の全てが存在しているような、ほとんど現実世界に対して盲目な毎日を過ごしていた。

時に癇癪を起こしたように投げ出したくなる瞬間もあった。
自我をしたためるという、気が遠くなる作業の中では、自分の無力感をありありと痛感させられるからだ。
それでも手放さずに書き続けたのは、やはり書くことが好きだからだ。
本当に好きではないと、何かを完成させるなんて出来るわけがない。
僕は飽きるまで好きなことを追求して生きていたい性分なのだ。

次は10月の群像新人文学賞に向けて、新たに作品を書こうと思っている。
その次だって、同じように文字を通して表現し続けるだろう。

人間は生まれた時から死ぬまでの間、常に表現者だということを忘れてはいけない。
そして、毎日が死までの最初の日だ。
今日の自分だけが死に対して、一番若い口調で、容貌で、思想で、挑むことができる。
だから僕は飽きるまで書き続ける。

そしてもうひとつ、我々はいつだって時代の過渡期の犠牲者だということも忘れてはいけない。
先頭を走っていた連中が、10年経てばビリになることだってあり得る。
勢いよく波に乗っていたナウなサーファーも、10年後には重い岩のように海の底に沈んでしまう。
他人事では済まされない。
君が腰を据えた居場所だって、終身的な安心を報償してはくれない。
ジェンガーのようにいつ崩れ落ちたっておかしくない状況だ。

我々は、時代が変わるということを目の当たりにする当事者であり、犠牲者なのだ。
君が得意気に話していた最新の話題も、お気に入りの装飾も、明日にはダサくなってしまう。
我々の生活を取り巻く環境は、文明人が縋るには、速度が過激すぎる。
こんなにも暴力的な社会のスピードの中で、無傷のまま死ぬなんて不可能だ。
我々は過渡期の犠牲者として、ある程度の傷を負う運命を強いられている。

だからこそ、自分が本当に好きなことだけを追求しなければいけない。
世間的な欲望に支配されては、何もかも喪失するばかりだ。
不必要なものばかりを手に入れるには、社会も人の気分も慌し過ぎる。
冬の終わり頃のセールで、そんなに沢山来年用のコートを買うなんて、一体どういうつもりなんだろう。
来年になれば、色合いや丈の長さが不格好で、不必要に思えるかもしれない。
来年のためとか、10年後のためとか、老後のためとか、野暮な情念ばかり気にかけては、百万年あったって悩み尽せない。

今の自分が本当に望んでいるものだけを手に入れよう。

個人の幸福に焦点を当てる時代が既に到来している。
好きなものがある我々は、飽きるまでそれを追求しようじゃないか。
「今日」の一番若い自分が信じた、一番新しい未来に対する興奮と苛立ちだけが、今の自分を肯定し続ける。
その刹那的な連続を表現することが、僕が文章を書く理由であり、自分に与えられた生きる余地なのだから。

『エヴォリューション / ザ•ホリーズ』

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