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【抱っこ法】にラブレター 東大阪編

[抱っこ法]って知ってますか?もともとは自閉症の人達を支援する技術の一つとして誕生しましたが、今では子育てから自分育てまで、あらゆる『人』を支援する技術として活かされています。

そもそも私が[抱っこ法]に出会ったのはかれこれ10年前になります。ある障がい者施設を見学に行った時に、そこの施設長に紹介されました。その時に聞かれたのが、【心のケア】って知ってますか?でした。障がい者の心のケア?そんなもんありえへん!その時は普通にそう思いまいた。カウンセリングの勉強を少しかじっていたので、自分の気持ちと向き合うといったようなことが、障がい者にできるわけがない!率直にそう思ったのでした。そう思いながらも、もしそんなことが出来たらえらいこっちゃ!と逆にとても興味が湧きました。(※[抱っこ法]のうち、障がい者を対象にした手法を【心のケア】と呼んでます。)

その施設では【心のケア】を取り入れることで、それまで食事場面では食器が空中を飛び交っていたのが、皆落ち着いて席に座って食べることができるようになり、今では【心のケア】を受ける順番がくることを利用者が待ち望んでいるとのことでした。

その時に紹介されたのが、東田直樹さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」でした。彼も【心のケア】を受けて執筆活動を続けているということでした。その足ですぐに図書館で借りて読んでみたものの、ほんまかいな?というのが素直な感想でした。あまりにも表面に現れる行動と、繊細すぎるほど繊細な内面のギャップが大きすぎたのです。

その後[抱っこ法]に関心はあったものの、日々の仕事に忙殺されて久しく忘れていたころに、その施設長から研修の案内を受け取り、実際に参加することになりました。研修では他法人の施設に入所している身体障がい者が来てくれていました。そして支援者3名で両手、両足を支え、身体を使ったコミュニケーションが始まりました。言葉を自由に使うことが難しい障がい者と心を通わすには、身体をつかってやりとりするのです。言葉はうそをつけますが、身体の動きは誤魔化せません。支援者の投げかける言葉に身体が反応することで、本人の想いを聞くことができるのです。都合が悪い話題になるとその場から逃げ出したくなるのはみな同じでしょう?体を支えていると、そうした微細な動きがダイレクトに伝わってきます。身体を使ったやりとりをしたあと、『筆談』で自分の想いを、引率で来てくれていた入所施設のスタッフに伝えていました。その時はこれはありえへん、と疑いの目を持ってました。支援者が書かせているようにしか私には見えなかったのです。

これが[抱っこ法]のセッションをはじめてみた体験でした。何かよくわからんけど、すげーなー。今までの支援のやり方には全くなかったものだったので、カルチャーショックでした。

それからすぐに学びだしたかというと決してそういうわけでもなく、なんだかんだで前回の研修から数年が過ぎていくうちに、今度は【筆談研修】の案内が目にとまりました。その研修でのショッキングな出来事は、前回の【note】に記載したのでここでは触れませんが、これまでの障がい者支援20年間の自分の傲慢さを、この期間に関わってきた利用者に本気で謝罪せねばならない!と思ったほどでした。

福祉の仕事をする上で、基本的な人権尊重、つまり障がいがあってもなくても人として尊重されなければならない、という大きな概念は持っていたつもりでした。だけどどこかに「言ってもわからんやろうな」という気持ちがあったことは否めません。それが私の傲慢さでした。

この時から、自分が[抱っこ法]を学び、身につけ、多くの支援者に伝えていくことが使命であると信じて歩むことになりました。そうすることが、今まで傲慢に関わってきた障がい者の方々へできる償いと勝手に思っています。

だから、私にとっての[抱っこ法]は、単なる支援技術を超えて、「人」というものの見方、そして自分の在り方、生き方にまで影響を与えるとんでもないものなのです。そして、とてもやさしい、愛あるものなんです。なので人によっては宗教か?って揶揄されることもあるようです。(苦笑)





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