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大人になるまで #3

小学校低学年の頃は勉強よりも遊びに行ってる感覚で通学してたと思う。

教室での授業風景を一切思い出せないんだもの。朝教室に入ってメンコして、休み時間にメンコして、給食食べてメンコして、学校帰りに探検して、家に帰ってメンコして!

メンコマスターになろうとしてた。

他の男子もみんな牛乳瓶の蓋でオリジナルメンコを作ったりしてたんだぜ!ワイルドだろ!

あと、今でもなおひさ君にマウンティングする時は、一年生の時に俺が口笛を教えてあげたんだぞ!とエピソードトークをしてしまう。

あれから31年間、口笛に関してだけは俺がお師匠様なんだからな!ってね。

だから「分かった、分かった、ハイハイごめんごめん」て言うのやめて。

二年生で掛算覚えて、「はっぱろくじゅーし」がお気に入りだったので、お風呂でずっと八の段を掛けてた。その為、七の段はあやふやで、勢いで誤魔化す術を身につけた。

七の段とかけましてお風呂と解く、その心は、、は?、、、、どちらも?、、、、サッパリ?

三年生になると嫌いな人、好きな人が出てくる。先生も残酷だなと思うけど、6人の班長が好きな人を順番に取り合い班を決めていくドラフト方式の班決めをしていた。学級委員の自分は最後まで選ばれない人達が可哀想で、そんな人を最初に選んで平等を保とうとした。

あの頃から「正義・平等・我慢強さ」の三本柱が自分の性格になったと思う。当時見ていたドラゴンボールの影響だろう。

そういえば次男にいじめられた時、本気でかめはめ波を練習してた。「かー」の時に気を溜めて、「波ー」で素早く気を放つと、母は「ニコっ」と笑った。自分に亀仙流は習得出来ないことを悟った。

そんな強さに憧れた少年は勇気を出して、見知らぬ小学生が50人ぐらい集まって行う二泊三日の林間学校に行ってみた。

初日から同じ班になった5人とはすぐに仲良くなった。二日目の午前中に暇だったのでミズノ君と相撲をしてたら、骨折した。ミズノ君の膝でスネの腓骨をパキッと!

今考えると、ここが自分の人生のターニングポイントだったと思う。

つづく

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