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正しいことだけでは生きていけない。


正しいことと間違っていること。
時々この境目がわからなくなる事がある。

間違っていることをすると何かしらの形で自分にしっぺ返しが回ってきたり、それにより誰かが傷ついたりする。

正しいことをし続けるのは難しい、続けているからといってそれが幸せなことなのか。

自分に甘い行動をしたり、妥協をすることもある。もちろんそれを繰り返していれば自分にそれ相応の不利益が回ってくるのだろう。

だけど、衝動に駆られて間違いだと分かっていても行動すること、それによって楽しい時間が過ごせたり、楽できたりするのであれば、それを自分が求めているのであれば、時にそれを認めてあげることも生きていく上では必要ではないか?

それによって自分が後悔をして自分を戒めたり、元気になれたりするのであれば正しくはないけど意味があったと言えないだろうか。

正しい行いをしなかったことを糾弾して、締め出したり、引き摺り下ろしたりすることはできる。正しさは強く、無意味な行動をする理由をことごとく論破できるからだ。

無駄はない方がいい、でもその無駄によって楽ができたり、思わぬ発見や経験ができる。誰もそれを否定することは本来できないはずだ。

人の無駄をことごとく否定することはいずれ自分にブーメラン的に返ってきたり、型から外れることを恐れて行動範囲を狭めていくことになるからだ。

妥協を進めるわけでも、違法な麻薬的なことを肯定するわけでもない。

ただ、少しだけ体の力を抜いて無駄なことにはしゃぐ時間も人生には必要だって事が言いたい。

もしかしたらそれは自分を甘やかしているだけかもしれない。でも自分は人の無駄なことも許容できる自分でありたい。

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