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554. 祖父との手紙

最近、手紙をとんと書かなくなった。

「手紙の書き方」といった本が出るぐらい、手紙とは届いた相手に気を遣わなくてはいけない。
それぐらい、きちんと書こうとすると難しいものなのだと思う。

小学生の時の方が圧倒的に書いていた

家族の事情で外国に住んでいた幼い頃、両親は(特に母親が)「おじいちゃん、おばあちゃんに手紙を書くように」と言っていた。
時に面倒だったような記憶も微かにあるのだが、2週に1回ぐらい書いた気がする。

自分が出すと祖父から返事がきた。

「レターをありがとう。(中略)生活の様子が分かってとても楽しみにしています。また書いてください」

ということが毎回書かれていた。
なぜか祖父は「手紙」とは書かずに「レター」と書くのだ。

数少ない娯楽の1つ

祖父からのレターには、たまに庭の草花のスケッチもあった。

既に仕事の引退間際かもう引退した祖父にとっては、手紙を受け取ったり書くことが楽しみの1つだったのだろう。
そして祖母はそのような祖父のために身の回りの世話をしていた(それが当然の時代だったけれど、のんびりしていた)。

後から聞いたところによると、手紙を書き終えた祖父は「手紙を出してくる」といったことを言って、家から徒歩5分ぐらいのところにあるポストまで散歩していたらしい。

ネタ切れ対策

しかしこちとら小学校低学年、すぐにネタ切れになる。
もう書くことがない、と思った時には手紙を出すことがしんどくなった。
時折母が写真を入れて送ってくれたことで
「○○の時の写真を送ります」
で何とか場繋ぎができたと思われる。

封書だとたくさん書かなくてはいけないというプレッシャーがあるが、そのような時は絵葉書だ。
当時、冊子状になっていてミシン目で切り離すタイプの絵葉書が売られていたので、ペりぺりと剥がしては大き目の字でとりあえず元気であることを書いて送るのだった。

送った手紙はどうなったか

帰国後に祖父と祖母の家に行ったところ、4畳半の隅っこに据えられた祖父の机(といってもこたつテーブル)の脇の棚に収められていたアルバムには自分が(母が)送った写真が貼られており、そしてスクラップブックの背には「あやこのレター」と書いてあり、自分が出した手紙が丁寧に糊で貼り付けられていた。
当時は気恥ずかしくて仕方がなかったが、今なら大切に保存したい気持ちも分かるような気がする。

たまに自分は訳の分からないことを書いていた気がするものの、きちんと打ち返してきてくれた祖父には今となっては感謝しかない。
Thank you granpa.

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