メンタルが弱い自分が嫌いって話

私が通う学校では一人一つiPadを購入して活用している。
かなり便利でありがたい代物だ。
今このnoteを書いているのもそのiPadだ。

今日、授業中に提出物の日時が告知された。
私は基本的に教科書含め学校の連絡事項はiPadを使って管理しているため、その時もなんの気なしに黒板にiPadを向けて写真を撮った。

「ちゃんとメモしましょうね。これくらい書けるでしょ」

そう言われた。

わかっている。怒られたわけじゃない。ただちょっと注意されただけ。

それでも、驚いて声は出なくて、やっとのことで一つ頷いた。


そもそも、私は絵に描いたようないわゆる「インキャ」、おとなしいタイプ。
私のクラス、というか学校で陰口が盛んなこともあって、周りからの見られ方を極端に気にする悪い癖がある。

先生に注意されるなんて、学級委員に立候補しなくて怒られたあの時くらいで(これに関してはいまだに腹が立つ。なぜあんなにぐちぐち言われなければならなかったのだろう)


みんなはどう思っただろう。今頃私の後ろで目を見合わせてくすくす笑っているだろうか。

とにかく、その授業中は話が何も耳に入らなかった。

ふとした時に心臓がドクドク波打って、いたたまれなくて俯いていた。

本格的に授業の内容に入れば、先生の顔を見るしかない。
一時間だけだから、全員が当たることの方が珍しいのに、今日は先生と目が合わないことや自分が指名されないことが引っかかった。


こんなことが引っかかっていてはいけないことくらいわかっている。

こういう時に耳に反響するのは母の「最近の子は打たれ弱い」という言葉。

その通り過ぎて、悔しくなる。好きで打たれ弱くなったんじゃない。私だって強くなりたい。


明日は、あの先生の授業が二時間連続である。
ああ、行きたくないな。そうでなくても学校なんて行きたくないのに。


写真撮って申し訳ありませんでした。


……けれど、それって注意されることでしょうか?
何がいけないのか、それを教えてほしいなあ。







いわゆる進学校に通っている。

勉強がしんどくなって、最近どんどん底辺に向かっている。



どれもこれも自分の弱さが原因で、変わりたい。



自分のことは嫌いじゃないけど、この世の中は打たれ弱くちゃ生きづらいから。



誰もが生きやすい世の中だったら、それが一番いいと思う。
でも、そんなの実現するわけない。この偏見が溢れかえった世の中じゃ。


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