いつだろうか

父の体重が、私の体重よりも軽くなった時、

「あ、この人っていなくなっちゃう存在なんだ。」

と実感した。

その1年後、父はいつもと同じようにコタツでうたた寝をしていた。
いつもと違ったのは、私が「おやすみ」と言っても瞼が閉じたままだったということだ。
私は違和感を感じつつ、まぁ、いいか、と自分のベッドへ向かった。

次の朝、父はいなかった。
仕事に出かけた訳ではなくて、姉から聞けば朝具合が悪く病院へ向かったらしい。

その日の夜、父は帰らなかった。
病院で診察を待つ間に体調が悪化し、そのまま入院となった。

それからしばらく、父が目を覚ますことはなかった。
ナースステーションが一番近くて広い部屋で横になってた。
その部屋で起きていた父の姿も覚えているが、記憶が曖昧だった。
寝ている父が先だったか、起きている父が先だったか覚えていないのである。
覚えているのは、ピクリとも動かない父と苦しそうな父の姿だ。
そして、そんな父を前にしても焦らなかった母や姉達の姿だ。
しかし、その異様さは拭いきれなかった。

それから色々あって、父の体重は私の体重より10kg以上重くなった。
元気になった訳では決して無い。
今でも暗い部屋の中で眠る父を見ると目の奥が引っ張られるような感覚に陥る。

でも、いつかいなくなってしまうと思ってしまう。
そう思って何年も経つが、
父より元気だった人、元気に見えた人が、
父より先にいってしまうことがある。
徐々に向かってゆく人、
突然去ってしまう人、

そんなことを考えてしまう日もある。
今日はそんな日らしい。
悲しい、やるせない、
そんな歌詞の歌があったなぁと漠然と浮かぶ。

父はいつ、いつ、
そして、私も、いつ、

そんなことに耐えられないなる日もある、

いつ、いつ、

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