「この世で一番重い罪」ってなんだろう。



あいさつ


ということで、おひさしぶりです。からすです。
「前回のライティング技術うんぬんって話、どうなったん?」
という方がもしかしたら居るかもしれないので一応先に。
諦めました。正確には、めんどくさくなったのでのんびりやります。

…小説の更新、しなきゃなぁ…

思いついたのは髪洗ってる時

ということで本題…の前に、一旦経緯の説明を。
今回の本題は「この世で最も重い罪って何?」ということなんですけども。
見出しにもある通り、これを考えてみようと思ったのは風呂入ってる時なんですよね。後ろ姿だけ見れば女性と間違われることも多い程度には長い髪を洗っていた時、なんとなく「そういえば、自殺と殺人ってどっちのが罪重いんだろう…」って思ったんです。(普段からこんなことばっかり考えてます)
因みに、基本的に無神論者なので宗教とかそういう話はあんまりしません。

この世界で重視される概念

というわけで、とりあえず最初の疑問を解消していきます。
まず結論から言うと、私の中では「答えられない」というのが答えです。
なんとなく直感とあっているんじゃないでしょうか?
まぁ私なりに理由を考えたのでとりあえず聞いてやってください。
というのも、さっきの疑問が頭に浮かんだ時、同時に「そもそもこの世界で最も重視される概念ってなんだろう」という疑問も生まれたんです。
何故なら、それによって善悪の概念が変わるんじゃないかと思ったから。
しかも、これは人間社会、果てはもっと身近な場所でも起こりうること。
いくつか例を挙げて見ていきましょう。

例1:家庭内ルール

まず最初は、Aさんの家庭とBさんの家庭。
まずはそれぞれの条件を確認します。

Aさん
年齢:30代
性別:女性
家族:夫(存命)・息子(中学生)

Bさん
年齢:30代
性別:女性
家族:夫(死亡)・息子(中学生)

どちらも30代の女性で、中学生の息子がいるという想定です。
違うのは、Bさんの場合は夫が数年前に亡くなっているということだけ。
この二つの家庭でどんなルールがあるのか見ていきましょう。

Aさん宅の場合:
『門限は19時』『月に一度は家族でお出かけ』『夕飯は全員で食べる』

Bさん宅の場合:
『学校には通う』『夕飯は2人で食べる』

両方の家で共通しているのは「夕飯は皆で食べる」ということ。
しかし、それ以外は大分変った二つの家が今回の対象です。
Aさん宅の場合、いわゆる一般的な家庭といった感じ。
両親が存命なため、お金があるんですね。
そのため、週に一度のお出かけなどのイベントもあります。
また、こういった家庭で重視されるのは家族の絆でしょうか。
Bさん宅の場合、母子家庭のため、あまりお金がありません。
そのため、大きなイベントはあまりなし。
たまにコ〇トコに買い物をしに行くくらいでしょうか。
そして、学校をずる休みすることは基本的に許されません。
こういった家庭で重要視されるのは子供を学校へ行かせること
因みに大体私の実体験です。

例2:もし、徳川綱吉が生きていたら…

次は、こんな例を見てみましょう。
仮に江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉(Wikipedia)がまだ存命だとした場合。
1680年代、彼は生類憐みの令(Wikipedia)という法律を作りました。
内容は、「捨て子や病人、動物を保護する」というもの。
つまり、この場合は弱いものを守ることが善とされるわけですね。
今回の例では、これが現代でも適用されていたら…という想定。
まず、動物の毛皮を利用した製品(服・家具・楽器)などは軒並みその姿を消すことになるでしょう。次に、夏には必須な蚊取り線香を始めとした殺虫剤や○○ホイホイなどの使用が禁止されます。当然漁や野生動物の狩猟なんかも全部NG。更に、病気の牛や馬を捨てることはできなくなり、質の悪い肉が家庭に並ぶことに。(ちなみに鶏肉はそもそも食べられません)後はペットの購入なんかも禁止になりますね。しまいにはネズミを利用した医療用の実験とかもできないかも。そして、これに加えて病人や捨て子へのサポートなんかも色々とついてくるわけです。「天下の悪法」と言われる理由がよくわかりますね。

重視される概念とは「目標」である

これら2つの例から、重要視されている概念…つまり、何が大事、または良いことだと思われているかによって、その場所での善悪の基準が定められることがわかります。言い方を変えれば、目標によってルールが変わるということ。また、大抵の場合、目標はほぼそのままの形でルールに現れるものです。少なくとも私はそうします。
ではまず、自殺が最大の罪である(=自殺してはいけない)場合の目標とはなんでしょうか?そう。「自分の命を一番大切にする」ですね。この場合、殺人はおそらく合法になります。もしくは違法であっても自殺よりは軽いものだと思われます。何故なら、「自分の命を守るために相手を殺した」という理由が成り立つからです。
では次に、自殺が最大の罪である(=人を殺してはいけない)場合の目標とは?そう。「人の命を一番大事にする」です。人の命を大切にしようと言ってる時に殺人なんてありえませんからね。
現状では、1対1の互角状態です。
では、この問いに答えはないのでしょうか?

本当にこの分け方?

ここまでで既に違和感を覚えている、あるいは私が馬鹿だと思っている方はおそらく優秀な方です。
そうなんです。私、実はとても卑怯な言い方をしました。
というのも、「自分の命を一番大切にする」も「人の命を一番大事にする」も、結局「自殺はダメ」と「殺人はダメ」を言い換えただけだから。
しかも、後者に至っては「自殺はダメ」も含んだ言い方にすらなっています。

「種の繁栄」

では結局、何が言いたいのか?
「人の命を一番大事にする」これこそが、人類の生存本能に刻み付けられた最も根源的かつ重要な概念、つまり目標なのです。
そして、これを更に短くまとめた言葉が「種の繁栄」という言葉です。
自分の種、つまり人間が栄えるためには、人の数を減らす行為は基本的に全てNGなんです。
当然、そこには自殺も殺人も含まれます。
だからこそ「どちらが最も重い罪か?」と問われても「答えはない」と返すしかないんですね。
これがいわゆる、「人を殺すのは何故駄目なのか?」という疑問の答えだったりもします。

…まぁこう答えても、中には「でもそれって人間の視点から見た答えでしかないから、仮に地獄とか天国があるとしたらそこでどういう風に裁かれるかは分からないよね。なんで地獄で殺人が一番最初の罪になってるの?」と聞きたくなるオカルト被りさんが居るかもしれませんが、そういう人に対しては「天国と地獄なんてものは人間が勝手に妄想して作ったんだからそうなるのは当たり前だろ」と返すことにして今回は終わります。

感想

風呂に入りながら思いついた題材。
最初はTwitterに書こうかと思ったんですけど、絶対的に文字数が足りないことに気づいて断念。
いつもこのくらいの文章量で書きたいと思いながら結局諦めて大幅に書きたい事を削りながらTwitterで書いてるので、またこっちで投稿する日もいつか来るかも…?
駄文でしたが、楽しんで読んでいただければ何よりです。
最後に、今回思ったより適当な終わらせ方になってしまったことの謝罪を。

では、ここまでご覧いただきありがとうございました(´ω`*)
また気が向いたら書くので、その時はよろしくお願いします( *´艸`)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?