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すぐ答えの本を引っ張り出すと

AZUMAについて

”AZUMA”のミナモト

僕は今まで、3回演出をやらせてもらって。各々最初に考えていたのが違うと思う。最初はどのような見た目を作りたいか、その後にどのような意味を追加するのかを決めた気がする。2回目はどのようなものを表現したいか、その後にビジュアルを合わせていてる。

これはよく言われるビジュアル先行か考え先行のどちらかに近いのかなと感じていて。これが悪いとかではなくてそのように二分されているのがあまり得意ではなかった(理性的すぎる)のでなんというか、観客にどのような影響を与えるかを意識して作っていった。

端的に言えば今回観客には、圧倒されるという感情を刻むために作り込んでいった。これは他の感情ではいけなくて、なんなら圧倒されるという言葉でも最も近いだけで、一ミリも違わないというわけではないと感じている。例えば、映画のとんでもなくすごいシーンにスクリーンが自分の中で小さくなっていく感覚であったりとか、気候や時間帯にたまたまイヤホンから流れる音楽がハマる瞬間などである。息を呑むという、演出側がどうこうとかではなく逆に観客側がどうするか。を考えながら演出をした。

多分これを今までで一番近い感情で制作しているのは前の演出頭で、僕がその人の演出を見て映画的である。と思うのはそんなところが関係していると思う。感情を見据えていたり、ここまでが空白だと示すなど、観客側への考えのアプローチがあるなと感じる。良くも悪くもCBAではフォーマットが縛られるのでそのような余地をこちら側が用意するのは面白いと思う。

ちなみにこれは演出の相方から本当に影響を受けていて、モデル練の帰り道など記憶について話していた際に、今までの人生の感覚を匂いであったり画像で捉えて引っ張り出すなどという話からヒントを得ています

ファッションショーにするために

僕たちはいつでも色眼鏡をかけている。

自分たちの力でこんなにがんばったのだからCBAは本当に今の僕たちには輝いて見えるし、最高の新歓公演ができたと感じているし、これは自分の演出であったり、サークルに精力的に参加している人なら尚更である。

しかし、最初に見た新歓で、椿が圧倒的にかっこいいと思った気持ちを忘れたくない。僕は正直cbaを見た時全てがかっこいいとは思えなかったし、これはかなり強い記憶として僕の頭に根付いている。

演出の相方との話し合いの中でコスプレ感が嫌。という話が出ていてなんというかこの気持ちを共有できていると感じて嬉しかった。僕の演出の黒須感というのは明度や彩度の差を感じるとともに、ここら辺から避けるために中間色の表現を避ける海外のリファレンスが多かったり(国内の中間色の表現の方が好みのモノが多い)することなのかな、と個人的に感じている。だからこそ条件を整えて中間色の表現をしたいと思うし、できる人を尊敬する。

今回は条件が揃う気がしなかったので諦めた部分もある。というのも前回の演出頭の演出が一番やりたいことができているのに会場などの噛み合わせでなんだか勿体無さを感じざるを得なかったため、中間色ではなく自分本来の色で勝負することにした。とりあえず舞台の高さがないことはその中でも大きな要因かもしれない。

全体を捉えさせる。

CBAはあくまでファッションショーである。と考える僕にとってはモデルを注視させたくなく、鮮やかに歩く洋服へと意識を変更させればいいなと感じていた。それは、服を見て欲しい!という感情とは少しずれたもので、もっともっとコンセプトやテーマ、ステージや会場を意識させたかった。

上記の理由で僕は視点移動をかなり気にしていた。それはピンスポであったり映像であったりするのだが、特に3人が回転するシーンが最もそれに近い。

赤いライトで舞台部分を照らし、モデル一人ではなく異様な空間を感じとって欲しいと思っていて、ステージではない(高さが無い)今回の空間の中でもっと観客に肌感として自分と分離せずに考えて欲しいなーなどと考えていた。そのためにも前半はスポットライトを当てて分離させたいなと感じていた。舞台照明の威力は凄まじく観客の認識範囲まで影響を与えられると感じていて、そのためにも観客の認識の空白部分を意図的に描くことを意識した。
【参考】

東風

AZUMA、つまり東の由来は大きく言えば二つあり。東洋の雰囲気太陽が昇る空である東方のことである。あとは響きと字の雰囲気。

東洋の雰囲気

見ての通りアジアンな雰囲気を持たせたこの演出では、少し古風な東アジアと西アジアからヴィジュアル的なインスピレーションを受けていて、それをよりフォーマルな装いにすることを意識した。今回はユリウスというブランドから最もヒントを得ている。

今考えると前の代の合わせ技になってたかも。でも特に昨年度新歓のある演出からうまくイメージを変えることを意識した。

各々に合うメイクや衣装は本当に一番のモノを選びたいと感じており、女性陣は各々、冨永愛と山口小夜子を意識した。男性陣は国籍的にもトルコ石や主にレファレンスを海外モデルの画像から選んだ。演出の相方が山口小夜子を見つけた時は車校中ながらにして感動した。目はアザを表しており後で書く思考の中の痛みを表現している。

普通に全員ブリーチしてくれました。まじで陳謝と感謝。

補色の鮮明さや映え方を考慮して、朱色が決まった後自動的にターコイズブルーを採用していて、これにはさっきあげた演出に所感が被らないようにと思ってこの色にした。混ぜると緑色になって東という方角とつながりが出てアツい。

歩き方や表情にはかなり気をつけていて、アジアンな宗教に感じる祈りに似た信仰観を絶対に直接的ではなく表現したかったため。音効やモデルに仕込んでみた。

太陽が昇る空である東方-1の意味

今回の数字というテーマは直接的に表現したらダサいしなんでもこじつけられるため、遠くてもイマイチだろうな、と思い。いいラインを探っていった。いってしまえば、とてもいいこじつけを見つけるノリでやっているので自分が許せる範囲を探ったという感じ。

1についてまずは太陽が上るという始まりについて描いた。太陽の朱色には個人的に信仰感を感じていて、人類そのものにとっての、1日という単位を決めるもので採用している色とも相性が良かった。

東風とあるように風流的にも最も力が強く圧倒的な一番という意味もあったので、この演出は他の演出や観客を飲み込めるパワーがあってこそ1として成立するのかもしれない。

⻩昏
夜明け前の静けさ

直前の寒さ

燦々と照る太陽

上記の三段階を太陽が上る瞬間の中でも区別して考え構成した。

モデルウォークは見栄え重視なのでそこまで意思が付随しているものではなく、単純かつ見やすく、僕が考えていた意図とずれないように意識した。

思考の渦

もっと概念的なテーマを述べるとすれば、閃く際の流れであり、日が沈みまだ蠢く空の雰囲気、太陽昇る前の温度が最も低くなる瞬間、太陽がのぼり全ての全貌が明らかになる姿が自分の思考の流れに近いと感じていた。

色々な情報や方法が散乱する頭の中で必死に思考する頭脳、思考の果てにだんだんと整理されていく情報と深呼吸に合わせて吐き出されていく雑念。アイデアの閃きにより流れる血流、発火するシナプス、開く瞳孔と演出のさまざまな部分を対応させている。

【参考】

音効の恩恵

CBAの制作の順序的に音効が全体に与えるイメージは一番と言っても過言ではない。ので、説明しようと思ったけど、なんか本職でもないのでやめる。でもなんというか音効頭の圧倒的パワーを感じた。ありがとう。
【参考】

雑談

2分30秒の制約

もっと余裕があるものにしたいと毎回演出する時に思っているけど、毎回この時間に詰め込むかつ興味を失わせない、と考えると少し形を、半ば強引に整えてしまう節があり、毎回悩んでいる。

もっと無音でもいいなと思ったり、単調な部分を愛したかったりと色々あるが、ここで言っても言い訳でしかないので何か絶対展示します。見てね。

反省

良くも悪くもyahyelから取りすぎた。普通に

演出側がもっと詰めれるところあったな、と普通に思う。ぐるぐるの精度とか衣装の見え方の固定とか。映像もエゴだけで言えばもっと色合わせても良かったのかな、とか、音効では二つの種類が違う要望を投げてしまったこととか。最初の演出案見ると、演出の相方の要望は通せていなかったので反省。俺のやり方、と言えば聞こえはいいけど思考を潰してしまった。

とはいえ、本当に一番の演出になったと思うのであまり悔いはない。演出の相方は尊敬しているし、今回は僕のメイン部分の中で彼の一側面を合わせてくれたと思うので、次が一番楽しみ。個人的には彼が中間色を描ける人間だと思うので。

普通にこれ書いてるけど全く相方と合わせてないのでマジでごめんねの気持ち。僕はこんだけ考えてたよーっていう感じです。

24新歓公演を経て

悔いはあまりなかったのでとても良かった。演出としても映像頭としても。なんかいっぱい書くと薄まりそうなのでここら辺で。また頑張ります。

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