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2021.9.13(月)長く一緒に居たことは「好き」になる理由にならない

私の家族は父方の両親と同居だった。
母にとっては義理実家である。
同居は新婚当初の母が言い出したらしい。
30年以上一緒に住んでいる。本当に尊敬する。

父方の祖父は私が中学生の時に急逝した。
以来、小難しい祖母が一人で一階に住んでいる。
今も元気だ(多少、認知症の傾向があるらしい)。

私は『母方』の祖母が大好きで、ずっと祖母のようになりたいと思っていたし、実際祖母に相談することもあった。
母ではなく祖母に聞いてほしい話さえあった。
母方の祖母は実家から車で15分ほどのところに、母の弟さん(長男)家族と住んでいた。
こちらも結婚時から同居である。

私は人のお祝い事やイベントごとにプレゼントをするのが好きなので、誕生日や母の日には母と母方の祖母に何かしら送っていた。
(母方の祖母に送るようになったのはここ2〜3年のような気がするが)
ただ、どうしても、父方の祖母に送る気にはなれなかった。

父方の祖母は私たち姉弟(3姉弟である)にとてもよくしてくれた。
よく食事を作ってくれたし、もしかしたから親と煮詰まった時に1階に避難したこともあったかもしれない。おやつもくれたし、お小遣いもくれた。

ただ、押し付けがましかった。
構ってほしがりで、すぐにヘソを曲げて、モノで人を釣ろうとして、母を困らせた。
そういうところが大嫌いだった。
実際、父とはそんなに仲がよくない。
(まぁ普通の母と男性の関係の範疇だが)

私はとても怖かった。
あんなに長い年月を一緒に過ごしたのに、
孫から「別におばあちゃんのことはそんなに好きじゃないし」と思われていることが。

でも、家を出て、結婚し、子供を産み、
わかったことがある。
おばあちゃんはおばあちゃんなりに、必死に私たちを愛してくれていたこと。
あんなに憧れていた母方の祖母だって、もしかしたら、距離があったから、いいところだけ見ていられたのかもしれない。
「おばあちゃん」になったことのない人が、一生懸命、おばあちゃんであろうとしてくれたこと。
人間は一生、初めてにぶち当たってばかりだ。

母方の祖母が今年の6月に亡くなり、
命とはいきなり消え去るものなのだと再確認した今、
いま、できることを残されたおばあちゃんにしてあげたい。

でもきっと、実家に帰って顔を見て話したら、
「あーハイハイハイハイ」ってなるんだ。
距離が大事なんだ。

「大切にすること」は「距離が近いこと」とイコールではない。

子供との関係でも、このことを忘れずにいたい。

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