サボテン。

母の育てているサボテンが好調らしい。
一昨年くらいの母の日に私があげたものだ。
プリンのカップくらいの鉢植えに入った小さな物だが、流石はサボテン、その生命力は折り紙つきだ。

私の母はそもそも、植物の世話がクソ下手有名である。
貰い物なのか自分で買ったものなのか知らないが、実家のベランダには朽ち果てたプランターが無数にある。
彼らが元気な間は甲斐甲斐しく水をあげるものの、ほんの少し弱りだした途端に一切の興味を失う様で、瞬く間に彼らは記憶の中の存在になっていく。
枯らすだけならまだ仕方がないとも思えるが、枯らした後の掃除もしない。
何故かカラッカラになるのを見届けて、その残骸が風化するまで放置している。
野鳥が啄むのか虫が還元するのか知らないが、そうして土だけのプランターが量産されている。
それすら片付けないので、謎のプランター謎の植物が芽を出したりもしている。

「砂漠でも育つんだから。」
そんな売り文句を真に受けて母にサボテンを送ったのが一昨年。
これでサボテンすら枯らしていたら、うちの実家は砂漠よりも過酷な環境ということになる。
しかし冒頭に述べた様に、そのサボテンは今も健在らしい。
一度、全体が茶色く変色し「もう駄目っす。」みたいな状況になったらしいが、奇跡の復活を遂げ、現在はBOSEのミニコンポの隣に鎮座しているという。
エド・シーランの曲が、ひょっとしたら人々の心に留まらず、サボテンにも活力を与えたのかもしれない。

そんな事で、母からサボテンの写真が送られてきた。
プリンのカップの様な小さい鉢植えの上に、今にも崩壊しそうな茶色く干からびたサボテンがあり、その頂点から小さくも瑞々しい緑のサボテンが生えていた。

一刻を争っている様に見えるのは私だけだろうか。

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