「プライドが高い」と批判したがる人たち。

日本の会社の中で働いていると「何故だかわからないけどやらなきゃいけないこと」がたくさんあって理由を聞いても「ルールでそうなっているから」や「みんなそうやっているから」という根拠のないことがままある。

日本人が陥りがちな集団の論理のわな。

周りへの同調を優先しすぎるあまり、本来の目的があやふやになり、何のためのルールなのかわからなくなっている。

そんな組織の中で比較的アサーティブに発言する私みたいな人間は「プライドの高い人」と映っているように思う。(直接面と向かって言ってくる人はほとんどいないけど。)


確かに、自分はプライドの高いところがある。と思うことがある。

人から注意を受けた時にすんなりとすみませんとは言えない。相手の発言内容に合理的な点があれば受け入れるがそうでなければ、つべこべ理屈を並べて説明を試みる。相手がこちらの発言を全く理解しないと分かれば内心でうんざりしながら少し馬鹿にしたような態度が出てしまうことがある。

ストレス度がマックスになれば挑発的な表現を織り交ぜて相手と相対してしまう。

これらの原因はおそらく防衛機制が過剰に働いてしまったり、寝不足で調子がよくなかったりなので、今後改善していけると思っている。

ただ、組織内で役職が上の人間に対して意見すること自体がダメというのはまったくもって呑み込めない話だ。

年齢関係なく私たちは固有の人格を持ったひとりの人間。

異なる意見を持つのは当たりまえ。それを自然に表明するのは大切なこと。

年下の人からの意見を「生意気だ」とか「プライドが高い」などとレッテルを張り、中身を見ずに態度を問題にする姿勢ははっきりいって頭が悪い。

そういう人間は結局のところ会社の勤続年数と役職でしかマウントを取れない無能が多い。


一般的に「プライドが高い」と言われるとき以下の2つが混同されているように思う。


1.自分の身の丈に合わない巨大で理想的な自己像を内側に持っており現実とつり合いが取れていない状態。

この不均衡をバランスするために、現実の場面で過剰に尊大な態度をとったり相手を見下すような発言をしてしまう。


2.自分自身の考えたこと、感じたことを大切にして自分軸をもっている状態。

社会や集団の論理を理解しながら、場合によっては合わせるが、

自分の考えと違う部分についてはちゃんと発言できる。


自分の場合は後者を志向しているが、メンタルの不健全状態に陥ると1に寄ってしまう。

例えば「そんなのは普通じゃない」と批判された時。

「普通ってなんだ?それはあたなの狭いコミュニティで凝り固まった価値観に過ぎないんじゃないのか?」

「私の意見が『普通』じゃないというあなたの見方を尊重するとしても、その普通が正しいとか普通じゃないから間違っているという話は全くもってナンセンスだ」

などなど一瞬の間に無数の反論が頭に浮かんできて、しかしそれを全て表現することは過剰防衛になり結果として相手を傷つけたり関係性を悪化させるというメタ認知がでてきて、脳のメモリが一気に忙しくなる。

そんなと時にぶっきらぼうで投げやりな態度を取ってしまうのが、アンガーマネジメント初級の自分の現在地。


尊大に振舞わず、過剰に集団に迎合もせず、自分軸を大切にしながら開放的なコミュニケーションが取れるように頑張ります。



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