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染屋に大事な「水」の話/桐生川と染屋

桐生の染色工場4代目、平本ゆりです。今日は私の知ってる「染屋と水」にまつわる話を書いてみたいと思います。桐生の自然と職業の関係について、祖父や父から私の聞いてきた話を少しですがご紹介したいと思います。

ちょっと長くなりそうなので目次を書いてみました。

目次
【1】染屋と切っても切れない水との関係
【2】川を辿れば染屋が見つかる
【3】今は無い「清水」という町
【4】染色とは水の通り道

1〜4項目まで、染屋と水との関係や、桐生という町で水と産業がどう関わってきたのかなど、最後まで読んでいただくと少し分かるかもしれません。。


【1】 染屋と切っても切れない水との関係

染屋にとって当たり前の事ですが、染色には必ず「水」を使います。
染料を溶く時、染料を定着(染色)する時、染色後の洗いの時、ほぼ全ての工程で必ず「水」を使います。なので、染屋と水は切っても切れない関係にあります。染屋にとって1番大切なのは「水」と言っても良いかもしれない。
寒い冬でも真水で染めた生地や糸を洗うし、暑い夏でも水を沸かして熱湯を使って染色します。
染める工程は「漬け込み・高圧・蒸し」等大きく分けて3種類の方法を使っています。漬け込みは水を熱湯にして、高圧は蒸気で圧をかけて、蒸しは焼売の様に蒸気を使って染めます。少し料理にも工程が似ていて、全てが水仕事。作業場はいろんな箇所に蛇口が付いていて、どの機材にも井戸水が使える様になっています。

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【2】 川を辿れば染屋が見つかる。 


私たちの工場(こうば)の近くには桐生川という川が流れています。
桐生川沿いに染色工場が並んでいたのが昔の桐生の光景だったそうです。
たまたま川の近くに工場があるわけではなく、川の近くを狙って染色工場は建てられてきたという歴史があります。
それは、【1】で書いた様に染色には必ず「水」が必要だからです。
現代の様に設備も整っていない時代から、自然の地形に合わせて川の近くに各社工場を作ってきたのです。そうやって必然的に川の近くに染色工場は集まってきたという、この話が私は好きです。

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祖父が若い頃は、夏でも冬でも染めた糸や布を桐生川まで運んで行き、川の流れを利用して洗っていたそうです。
冬は薄い氷のはった川に足や手を入れて洗うのがしんどかったと言っていました。この話をする時に祖父が「セリシンのキュッキュッとなる音が耳に残って離れない」と言っていたのを同時に思い出します。私はセリシンのキュッという音を聞いた事が無かったのに、祖父の話を聞いてまるで自分も同じ音を聞いたかの様にその音が想像できたのでした。

桐生川沿いにある染屋も半分以下に減ってしまいましたが、今でも桐生川沿いには染め屋が集中しています。
川沿いにある普通の民家でも、話を聞くと実は昔染屋だったというお家も結構あります。これは桐生に限った話ではなく、他の産地でも大体川沿いに染屋があります。東京とかは特にそれが顕著に出ていて面白いです。

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川を辿れば染屋が見つかるなんて面白くないですか? 
私が初めて染色に対して面白いと関心を持ったのは、祖父が「川を辿れば染屋が見つかる」と新聞の取材で言っていた記事を読んでからでした。
桐生の地形と職業が関係してるという事に興味をそそられて、そんな事を知っている祖父を面白い人だと思ったのでした。
その記事には桐生川と染屋の地図が書いてあったと記憶してるんだけど、その記事がどうしても見つからない。。幻だったのか。。いつかその昔の地図を見つけてnoteでもご紹介したいです。

【3】今は無い清水(しみず)という町

私たちの工場(コウバ)のある町は、かつて桐生市清水(しみず)町という地名だったそうです。名前の通り、水が豊富な町だったそう。
桐生川の水が流れる用水路が各家の前に有り、町全体に小さな川が流れている様な光景だったとか。今ではそんな景色が本当にあったのかと疑うほど、その様な気配は全く残っていません。

時代を遡って、祖母が少女時代の話。
当時の桐生川は整備もされていない川で、台風や大雨の影響で何度も川が氾濫したそうです。
川が氾濫した時の話を生前祖母が何度かしてくれました。
家の天井近くまで水が上がり、見渡すと死体が浮いていたそう。。

川の氾濫も多かった事から川を整備して用水路もなくし、そういう事からか「清水(しみず)」から「東(ひがし)」に地名が変わったそうです。
整備してくれて、今では穏やかな川になりました。

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でも、昔の光景も見てみたかったです。

東という町は水に恵まれた染屋の町だったんです。
そんな町に私たちの工場は丸百年同じ場所にあります。


【4】染色とは水の通り道

染屋と言っても、染色方法には様々な方法があるのをご存知でしょうか?
例えば、捺染・注染・型染・絞り・板締め…などなどなど。
よく染色で全て同じだと思われがちですが、染色方法は産地や各染屋によって異なります。

江戸小紋の様に伊勢型紙を使って、のりで柄を出してから色をつけ蒸したり、注染の様に熱い染料をかける事で染める方法もあれば、うちの工場の様に、染料液に生地を浸して染色する方法もあります。

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私たちの得意としてきた染色技術、『籠染』『筒染』『暈染』は、水の浸透した所が染まる技法。言ってしまえば、水の通った場所がそのまま柄になっています。
私たちの染色方法は絞り染めですが、型紙・糸などで縛るなどの方法を一切使いません。
人工的な模様ではなく、生地同士の摩擦(絞り)で模様を出す方法で染色しています。

自社商品を作ろうと決意した当初、この不規則で安定しない染色では染の魅力が伝わらないんじゃないかと思った事もありました。模様が言葉にできない模様なので、テキスタイルとして魅力を打ち出すのは難しいと思いました。
さらに、江戸小紋や有松絞りの様に全国的に誰もが知っている様な染色技法でも無い私たちの染色。私は初めのうちはこれが弱点と思い込んでしまっていました。

けれど、祖父から父へと何十年とこの染色技術でやってきたんだから、今ある技術をどうやったら魅力的に思ってもらえるか、という事に視点を変えて、そして信じてみようと思い、何十年と変わらないこの不規則な染色技術を発信していこうと決めました。

私にとって幼い頃から見慣れた「籠染」。
祖父が一番得意としてきた染色技法です。文字通り籠を使って染色する染色技術です。染色する時の籠も全てオリジナルで祖父が作ったものです。

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生地の詰め方、生地の重なり方を手作業で調整し、水の通り道を予測して染め上げている模様。水の通り道を予測して、生地を絞る(詰める)。
でも、こちらの意図した通りに模様が出るとは限らないので、故意と無作為の間を狙って、出したい柄を出しています。

ブランドを始めるまで、弱点だと思い込んでいた私たちの染色技術。それが今では、この無作為な所が私たちの染色の1番面白いポイントだと思える様になっています。予想外の結果が毎回新しい驚きや感動を与えてくれる。少しづつではありますが、その魅力がお客様にも伝わってきていると感じています。魅力に共感してくださる方々がいる事は本当にありがたい事です。籠染や筒染などの染色技術については、改めてまとめて書いてみたいと思います。長くなってしまうので今日はこの辺で。

今日は染屋と水について書いてみましたが、今後も染屋ならではのお話をnoteに書いていきたいと思っています。

少しでも染色や染屋の仕事に興味を持って頂けたら嬉しいです。

今後ファミリーヒストリーの様な事もnoteの連載(?)で書いてみたいとも思っています。
最近になって、うちの染色の歴史が少しだけ分かってきた事も出てきたので。
私の曽祖父の頃の話から染屋を始めた時の話、祖父が婿養子に染屋に入って伝統工芸士になるまで、そして父の話、それから今現在の自分の話まで。
長くなりそうだから、連載の読物にしたいと思っています。
まずは染屋を始めるよりも前の話から年明けぐらいから読み物連載スタートしたいと思います。

今回は文章が長くなってしまいました。。
最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

KIRISEN 
平本ゆり






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