六道慧の花暦2024年2月(2)

 昭和の下町(3)
 昭和30年代。墨田区石原町、緑町、亀沢町あたりの下町には、小さな町工場が連なっていた。メリヤス関係や鉄工所、金型造り、ネジ専門、車の修理といった小さな工場、さらにはガラス加工や江戸切子の工房、足袋職人の家などが建ち並んでいた。
 私の家もそんな小さな町工場のひとつ。従業員は父を含めて三人程度だったっけ。今はスカイツリーのお膝元だけれど、昔も今も買い物が不便なのは変わらない。自転車で7、8分のところにあったスーパーが、食料品や日用品を揃えられる唯一の場所。選択の余地なしでしたね。いつの間にか、そのスーパーも姿を消しました。
 さて、今回は私と同い年の、ゴジラの話をしましょうか。
 1954年にゴジラ誕生。父が連れて行ってくれたのは、錦糸町の楽天地にあったこれまた小さな映画館でした。私はモスラの大ファンで、モスラの通訳役(?)だった小美人を演じた歌手のザ・ピーナッツが大好きでした。それもあって、ゴジラを観に行ったんだけどね。まあ、モスラを吊りあげるピアノ線は見えていたし、幼虫(モスラは蛾なので幼虫のときは蚕)のモスラは頼りないことこのうえない。
「ゴジラに勝つのは絶対無理」なぁんて、子ども心にも思いましたもん。それでも応援しちゃうのが、映画の持つ不思議な魅力かな。父は隣で寝ているだけだったけれど、家に帰る道すがら、「次のも観たい、また連れて行ってね」とねだっていました。
 途中で小美人が代わったのは、かなり後になってから知りました。ひとりは確か長澤まさみ(敬称略)だったと思う。ゴジラ特集かなんかのテレビ放映だったんじゃないかな。「あれ? もしや、長澤まさみ?」と気づき、びっくり。ずいぶんイメージが変わるものだなと驚きました。
 映画を観た帰りには、今も錦糸町駅前にある魚屋『魚寅』に寄って、父は酒の肴を買い求めました。マグロのぶつ切りが当時は、100グラム100円でね。色々な部位が混じっているから、けっこうお得感満載でした。時々買いに行かされた憶えがある。
 現在は(2024年)マグロのぶつ切りが100グラム300円、タコのぶつ切りが400円ぐらいかな。値上げばかりの中にあっては、まあまあではないかしら。新鮮だしね。
 ちなみに錦糸町は、場外馬券売り場があったため、ガラが悪かった。土日になると駅からダーッと買い求める客が飛び出して、馬券売り場にまっしぐら。今はネットで買えるようになったけど、多少は混み合うのかしら?    今は昔のお話です。
 

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