2007-2017 20代を振り返る

今日で20代最終日。長いようで、短かった。大学受験で浪人しているから、大学に入学した年に20歳になり、そこから大学院まで行き、さらにその後就職浪人しているから、見事にモラトリアムな10年だったなと思う。

大学入学から始まった20代は、とにかく今までの20年なんか比ではないくらい、いろんな人たちと出会い、いろんな世界や価値観を見ることができた10年だった。それがとても楽しかった。

だけど、割とその場のノリや人に合わせることができる自分にとっては、表面的な自分のパターンが増えていく度に、ほんとうの自分の姿からは遠ざかっていっていた。それに気づいたのは、ほんの数ヶ月前だ。

割とわたしの周囲にいる人達は、分野や活躍の場の規模はみんな違えど、表立って活躍している人が多いと思う。だから自分も結果を求めて、努力をしていた。だけど、わたしは彼らのようになれなかった。ずっと小さい時から、誰かに見て欲しいという欲求が強くて、なんとなく名を馳せたいとかすごいことしたいと思っていたけど、だんだんとそうじゃない現実が見えてきていた。もしかしたら最初からそうだったのかもしれない。20代は「わたしは何者にもなれない」という現実を受け入れるための10年だったのだろうと思う。何者にもなれないなら、そのままの自分で勝負するしかないと割り切れるまで10年かかった。

わたしが現在仕事としているランドスケープデザインに興味を持ったきっかけは、恥ずかしながら「デザインしている自分ってかっこいいな」と他人から見た自分を基準に考えていた。でも、学生の時に勉強をしているうちに、ランドスケープデザインを心から好きになっていった。なんでもすぐ興味を持つけど、飽きっぽい自分が、今でもランドスケープデザインを好きでいられるのが何よりの証拠だ。とはいえ、自分の心の中なんて客観的に見れないから、「デザインしている」というラベルを張られている自分が好きなだけなのかもしれないと思っていた。

最近になって、ポツポツ自分が設計した公園が完成している。その度に完成した現場を見に行って、写真をたくさん撮る。そしてその写真を何度でも見返してしまう。もちろん、まだまだ至らない部分とかはあるけれど、写真を見ていると、「自分の設計した公園まじ最高!」「どの角度からみてもいいね!」「あーこの園路の線形最高!」と本気で思ってしまう。なんてバカなんだろう!と自分でも呆れてしまう。でも、ここまで自分がつくったものを愛せるのは、つくっている過程が本当に好きで、本気を出していないと、そうは思えないのかもしれないと気づいた時、なんだか人生の本質を垣間見た気がした。思えば学生の時もコンペで負けようが、ダメ出しされようが、設計は楽しかった。働き始めてからも、役所の黒子みたいな存在で設計をしているけど、やはり楽しい。何者になれたかなれないかは関係なく、とりあえず本当にランドスケープデザインが好きなんだ。

そう思うと、何者になれなくても、これだけ強烈に好きなものを見つけた
20代はしあわせだったなと思う。いろんな場に合わせてしまっていた自分は、きっと自分にとって「これだ!」というものをいろんな表情をして探していたのかもしれない。自分らしくというのとはまた違うのかもしれないけど、30代は何者でもない、そのままの自分を受け入れて生きていきたい。

さて、20代の総括が終わったから、歌舞伎町に飲みに行くぞ!そしてその帰り道の職安通りの歩道橋から、流れる車のライトを眺めて3回目の0歳を迎えよう。この風景が一番好きだから。

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