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メンヘラ日記

うつ病→双極性障害の療養日記。体調管理のためにもマメに書いていきたい。

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療養経過メモ番外編 病状&お薬遍歴

わたしはいま、双極性障害と診断されて、通院している。はじめて精神科に行ったのは、2019年4月だった。ある日突然、体が動かなくなった。会社に行きたくなくて、遠回りして通勤したり、憂鬱な気分だったりした。年度末の繁忙期が明けて疲れたのかな、くらいにしか思わなかったが、ずーっと動けない状態だったので、何かおかしいと思い、精神科を受診した。 ①レクサプロ はじめて精神科に行ったときに処方されたのはレクサプロだった。先生は若い女性で、病名を教えてくれなかった。なので、レクサプロにつ

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療養経過メモ また来たよ

療養経過メモをしばらく書いていませんでしたが、それは寛解状態だったからなのかもしれません。しかし、最近また、あいつがやってきました。うつです。 めっちゃ信頼していた主治医が海外に行くということで、4月から新しい主治医になった。前の主治医がわたしに合いそうな人にしてくれたので、特段問題ない。DJについても理解がある先生だった(初対面でどんなジャンルを回すんですかと聞いてくるくらい理解がある)。 基本的にはラミクタールとレキサルティを処方されていたが、2週間くらい前から突如う

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双極性障害についての雑記

改めて書くことではないかもしれないが、わたしは双極性障害であり、今はうつ状態がひどくなったので休職している。最近はそんなに上がることもなく、主治医いわく「躁鬱なのか鬱なのか微妙なところ」ということなので、休職の際の診断書には「うつ病」と書かれた。なんでも、うつ病は一般社会で理解が進んできており、「双極性障害」と診断書に書くよりかは対外的には良いとのことで、復職のことを考えてうつ病と診断書に書いたそうだ。 ほんと双極性障害は理解され難いね。いちおう自分の病気のことを知ろうと思

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わかり始めた my revolution

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 最近、漸く自分の病気を受け入れられるようになりました。直接死に至らないけど、ずっと付き合っていく、この病気は正直嫌だなというか面倒でした。でも、病気や自分の状態をほんとうの意味で理解できたときに、はじめて受け入れられた気がします。一生、この病気と付き合っていくぞ、共存していくぞ、という強い気持ちではなく、まぁそんなもんだろというゆるい気持ち。まぁ、そんなときもあるよね、生きてるんだもの。そ

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おえかき

ゆるいらすと

だるまの夏休み

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まちのはなし

まちで遭遇したエピソードなど

はじめて一人暮らししたまちについて

はじめて一人暮らししたまちは、東東京人憧れの皇居より西側の東京某所だった。某所というか東中野です。といっても東中野から徒歩15分強、西武新宿線や大江戸線の中井駅のほうが近い。でも中井に住んでますと言ってもピンとこない人がほとんどなので東中野に住んでますって言っていた。堀切や五反野に住んでますと言ってもピンとこないから北千住に住んでますって言っちゃうのとおんなじ現象である。 わたしが住んでいたところはちょうど新宿区と中野区の区境で、中野区側の飛び地だった。なので、家を出るまで

足立ナンバー

今日、日中に家の近所を歩いていたら、路地に迷い込んだ足立ナンバーのタクシーがいた。このまちに引っ越してきた当時を思い出した。わたしも引っ越し道具を積んだ車で迷ったから。困っている運ちゃんを地元民のおばあちゃんやわたしは暖かく見守っていたら、タクシーの運ちゃんは無事に帰路を見出したらしく、私たちに手を挙げて去っていった。足立ナンバーの管轄は広いけど、東東京の人に悪い人はいないんだと思えた瞬間だった。 懐かしいと思えるのは、もうそれがわたしにとって日常ではないということ。わたしの

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京成線からの夜景

最近、仕事で千葉県に行くことが多く、今日も千葉県内の某所で住民懇談会を行った。 仕事が終わってから飲んで帰ってたのですっかり暗くなっていた。久しぶりに乗る京成線。京成線沿線ではなかったが、わたしの地元と同じような下町の風景が見える。夜だから、団地やマンションの灯りが見える。決して商業施設の灯りではない。夜は暗くて静か、まるで人間の生活パターンのようだ。そういえば地元もそんな感じだった。だからこそ公園でたむろしてたり、スクーター乗り回しているのが目立つのだが。。久しぶりに夜とい

夏の雨、真夜中の東中野

わたしは3年前から去年まで東中野に住んでいた。はじめて一人暮らししたまち。家の最寄り駅は都営大江戸線・中井駅だったが、「どこに住んでいるの」と聞かれた時に「中井です」って答えても、え?どこ?みたいな反応が多いので、それ以来、東中野に住んでいると言うことにしていた。実際、家から徒歩15分で東中野駅に着くので、東中野に住んでいると言える許容範囲ではあると思う。 東中野は縁もゆかりもない、知り合いもいないまちだった。だから友達をつくりたいなと思って、金曜日になるといつも東中野では

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図書館日記

図書館の平和を守っていた時のことや図書館にまつわるあれこれや感想など

図書館ランドスケープ #1 白河市立図書館

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図書館の平和を守っていた時のことなど(3)

久しぶりのnote、使い方をすっかり忘れてしまいました。こんばんは、ハッコです。図書館の平和を守っていた時の思い出話第3弾は予告通り?図書館を訪れる人たちについて書いてみようと思います。 図書館を訪れる人について、だいたい記憶に残っている方というのは、すごく丁寧なお礼をいう人とか、笑顔が素敵な人とかではなく、なんでそんなことすんねん!って思わずつっこみたくなるようなことをしちゃう人とかだったりします。その中でも特に印象に残っている利用者の方について挙げてみたいと思います。

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図書館の平和を守っていた時のことなど(2)

こんにちは。未だにnoteの使い方がよくわからず、新しいノートを書くのに苦戦していました。ハッコの図書館日記、2回目は何を書こう。きっと図書館で働きたい人は、どういう業務をするかとか、指定管理者についてとか、ある程度知っているのかなと思うので、次回は業務のことを書きたいって1回目に書いたけどやめよう。さて、どうしようか。そうだ、あれを書こう。 ということで、第2回のテーマは「どういう人が図書館の平和を守っているのか」という感じで行きたいと思います。なお、図書館での勤務のこと

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図書館の平和を守っていた時のことなど(1)

noteはじめました。記念すべきはじめてのノートは図書館のことについて書きます。というのもわたしのfacebookのウォールにオラシオさんの「図書館で働きたい人に捧げるQ&A」という記事のリンクが投稿されたので、なんとなくわたしの場合はどうだったのかということを書いてみることにしました。 わたしは2010年から約3年半、都内の区立図書館でアルバイトをしていました。3年半のあいだに2館の図書館で勤務していましたが、1館は指定管理者による運営の図書館、もう1館は自治体直営館で一

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東東京カレンダー

東東京での思い出とか

わたしが東東京から離れるまで(3)

ユーコトピアの思い出わたしは高校生の頃、軽音部に入部してバンドを組んでいた。3歳から18歳までエレクトーンを習っていて、中学校では吹奏楽部で、ずっと音楽に触れていたので高校でも音楽をやるのはごく自然なことだった。軽音部に入部したのは吹奏楽部よりもカッコよさそうだと思ったから。パートはドラム、ときどきベースも弾いてみたり。本気でプロを目指そうとか、音楽で食べていこうとかそういう気持ちはなくて、気の許せる友達と音楽をしているのがただただ楽しかった。 そんな楽しい高校生活も終わり

わたしが東東京から離れるまで(2)

東武線の思い出小さい頃、休みの日は親がどこかしらにお出かけに連れてってくれた。上野とかたまに銀座とかに連れてってくれたのだが、移動手段は電車が主だった。普段はチャリで行動するので、電車というとちょっとテンションが上がる。今でこそつくばエクスプレスや日暮里・舎人ライナーが開通して便利になったが、足立区の中心を南北に縦断する東武伊勢崎線こそがまさにライフラインであった。上野も銀座も東武線と日比谷線が直通運転しているおかげで乗り換えなしで行けるのだ(北千住駅が最寄りの人には関係ない

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わたしが東東京から離れるまで(1)

もう去年の話になるのですが、「東京女子図鑑」や「東京人生ゲーム」など、何かと東京カレンダーのweb連載が話題になりましたね。なんだかんだ言いつつ楽しく読んでいました。どちらの話も地方から東京に上京してきた男女を主人公としているので、もし東京生まれ東京育ちの自分だったらどんな感じの連載になるんだろうと思ったので、じゃあ書いてみようか、という感じのノリで書いてみようと思います。これまでの自分の総括的な意味合いもあったりなかったり。 -----------------------

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