わたしが東東京から離れるまで(1)

もう去年の話になるのですが、「東京女子図鑑」や「東京人生ゲーム」など、何かと東京カレンダーのweb連載が話題になりましたね。なんだかんだ言いつつ楽しく読んでいました。どちらの話も地方から東京に上京してきた男女を主人公としているので、もし東京生まれ東京育ちの自分だったらどんな感じの連載になるんだろうと思ったので、じゃあ書いてみようか、という感じのノリで書いてみようと思います。これまでの自分の総括的な意味合いもあったりなかったり。

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わたしは東京生まれ東京育ちの3代続く江戸っ子で、悪そうな奴はだいたい友達な感じのまちで生まれ育った。渋谷ではない。というか悪そうに見えるけどみんないいやつ。これほんと。高校生の頃とかは確かに金髪でスウェットという出で立ちだったけど、数学や化学のテストではクラスで2番目の成績だったこともある。見た目と中身は必ずしも一致しない。イメージばかりが先行して、嫌厭されるまち、足立区。東京都足立区でわたしは26年生きてきました。実際はとても平和なまちだった。じゃあなんで離れてしまったのか。まぁなんとなくとしか言えない。ほんとうに直感だった。

きっかけは中学生の時、進路を決めなければいけない時だ。高校をどこにしようかと考えていたのだが、周りの友達は区内にある高校だったり、近くの高校を友達と受験しようと言っていた。わたしはなぜだか先のことはわからないからとりあえず今までを振り返っていた。わたしが通っていた中学はほとんどの生徒が同じ小学校から進学していて、さらに小学校は同じ幼稚園から入学した子が多かった。幼稚園から中学校まで10年、ずっと同じような環境でいるのは今はいいけど、その先どうなるんだろうと思った。幼稚園も小学校も中学校も足立区内で、高校も区内にある都立高校に通って、就職も区内で・・・・みたいに考えてたら、これはやばいなと思った。これじゃあ一生足立区から抜け出せない、と直感的に思った。住んでて特に問題ないし、都心へのアクセスも便利。商店街とかも活気があるし、地価も都心ほど高くないから戸建てが欲しい若い夫婦とかにはぴったりなまちだ。どの世代でも平和に暮らせる。でも、そうであればあるほどこのまちから出られなくなると、15の心は震えたね。普段はそんなこと考えないくせに、あのときはなぜかはっと閃いた。このままじゃやばいって。そして高校の進路は学区内の高校にした。もちろん足立区内ではない。

高校に進学してからももちろん実家で暮らすのだが、たぶん中学生のときに感じたこのやばい感は10年経っても忘れられなかったんだよね。あのとき「このままじゃやばい」って思わせてくれた何かには感謝している。この10年後に東東京を離れるわけだが、いきなり10年後の話を書いてもあれなので、もうちょっと何か書こうと思う。


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