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墓地に捨てられた状態を観察する 中部#10 念処経 読了 その4 (身随観 九墓地)

中部#10 念処経 読了記事のつづき(その4)です。

身随観 目次

  • 出息・入息 (ānāpāna, アーナーパーナ)

    • 出る息・入る息を観察する

  • 威儀いぎ (iriyāpatha)

    • 行住坐臥ぎょうじゅううざがを観察する

  • 正知 (sampajāna)

    • 正知をもってあらゆる行動を行う

  • 厭逆観察 (paṭikūla-manasikāra)

    • 身体を構成する三十二の部分を観察する

  • 要素観察 (dhātu-manasikāra)

    • 身体を構成する四大要素(地水火風)を観察する

  • 九墓地 (nava-sivathikā)

    • 墓地に捨てられた死体について九つの状態を観察する

身随観 九墓地

(身随観を修習する)比丘は、墓地に捨てられた〔以下の九の状態の死体〕を見るようにこの身に集中し、〈この身も、このような性質のもの、このようになるもの、このような状態を越えないものである〉と、観察すると説かれています。

  • 死後一日、あるいは二日、あるいは三日経ち、膨張し、青黒くなり、膿みただれた死体を見るように、この身のみに集中する

  • 烏に食べられたり…鷹に…禿鷲に…蒼鷺に…犬に…虎に…豹に…ジャッカルに…あるいは種々の生き物に食べられている死体を見るように…

  • 骨が連鎖している、血肉がある、筋が繋がっている死体を見るように…

  • 骨が連鎖している、肉のない、血にまみれ、筋が繋がっている死体を見るように…

  • 骨が連鎖している、血肉のない、筋が繋がっている死体を見るように…

  • 連鎖のない四方八方に散乱した骨を、すなわち、別の方向には手の骨を、別の方向には足の骨を、…くるぶしの骨を…すねの骨を…ももの骨を…腰の骨を…肋骨を…背骨を…肩の骨を…頸の骨を…顎の骨を…歯の骨を…別の方向には頭蓋骨を見るように…

  • もろもろの骨が白い貝の色のような死体を見るように…

  • もろもろの骨が山積みされ一年経っている死体を見るように…

  • もろもろの骨が腐食し粉々になっている死体を見るように…

「このような状態を越えないものである」の部分については分かりにくいのですが、スマナサーラ長老は以下のように解説されています。

自分の身体は evaṃ anatīto このような状態にならない、ということはありません、必ずこのような状態になります、と確認します。これは死体の状態を自分の肉体に当てはめて観る修行です。

大念処経 ヴィパッサナー瞑想の全貌を解き明かす最重要経典を読む
アルボムッレ・スマナサーラ
I 身の随観
九墓地の部
スリランカの寺院にある九墓地のイラスト?

上の写真はスリランカの寺院に展示されていた死体のイラストです。番号が9まで振られているので九墓地のイラストかと思ったのですが、どうも経典の内容とは完全には一致してないようです。

身随観の結果

各身随観の修習方法の後にはその結果について解説されています。

以上のように、内の身において身を観つづけて住み、あるいは、外の身において身を観つづけて住み、あるいは、内と外の身において身を観つづけて住みます。また、身において生起の法を観つづけて住み、あるいは、身において滅尽の法を観つづけて住み、あるいは、身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。そこで、かれに〈身のみがある〉との念が現前しますが、それこそは智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。

パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良
第10 念処経
p.173

その4 まとめ

九墓地を修習する時は、墓地に捨てられた九の状態の死体を見るように、この身に集中し、〈この身も、このような性質のもの、このようになるもの、このような状態を越えないものである〉と観察する。

身随観を修習して、身の内外において身を観つづけて、身において生起しょうき・滅尽の法を観つづける比丘には、〈身のみがある〉との念が現前し、かれは依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがない。

参考訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)

これで身随観は終わりです。
つづく

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