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男が本気で嫉妬するのは男だけ

男が女に才能を認められるのは、女だったら正味本気で嫉妬しなくて済むから、男のそれより簡単に認めることができる。女はまあ男とは別の生き物だからね、尊敬している、嫉妬している、などと平気で口にできる。本気の本気で嫉妬していたら嫉妬しているとはそんなに容易には言えないだろう。

男は歳下の女、若い女、20代の女を褒めそやす。大体ちょっと下心もある。女は男によって持ち上げられる。その女と同世代の男はその女に嫉妬する。自分が認められたい男に自分より先に認められている彼女に嫉妬する。しかし同時にそれが男でなくてよかったと安堵する。男だったらもう気も狂わんばかりに嫉妬してしまうだろうが、まあ女なら女だしな、と自分の中で言い訳できる。どうせ男からの下心も混じっているわけだし、と。

このようにして女は男に認められ、その社会の一員になる。女は男に認められることでしかその社会の一員にはなれない。しかし所詮は女だ、男ではない。男(女)、人(女)、人(仮)なんである。名誉男性。だから女は誰かを認める立場にはなれない。認められる存在でしかあり得ない。あくまで社会は男によって回されるべきものだから。ホモソーシャルはこのようにして再生産され再強化されていく。時代は令和だというのに、いまだにこの構造に大きな変化はない。

こんな穿った見方しなくても、と思う人もいるだろう。しかしこういう構造は現にある。もちろんこれ「しか」ないと言いたいわけではない。しかしこれはあるのだ。構造としてある。

こういうことを言うとすぐ、男は女のことを褒めてはいけないのかとか若くして社会的にその才能を認められている女はみんな枕営業的なことをしたからそこにいると思うことであなたは自分の嫉妬心と向き合うことを避けているだけなんじゃないかとかそもそもあなただって広義の枕営業的なことはしたことがあるでしょとかでも男より女の方が圧倒的に楽じゃんとか男は女に対して本当に下心がないか常に反省しなくてはならないと思うとか頓珍漢なことを言われまくり、はあ、だめだ、一旦撤退って感じになる。私一人では手に負えない。単騎独行は不可だと学んだ。

女性のことを尊敬していると公言する男の裡に見えるこうした差別意識、それに男本人が全く気づいていないこと、一体これはどのようにして相手に伝えればいいのか、親しい間柄の人間であればあるほど分からない、褒められることすら素直に喜びきれないし、それはこんなことを考える私の側に問題があると考える女も多い、同性だからといって全く分かり合えない、何なら女のミソジニーの方がえぐみがある、私もそんな女に対して裡に差別意識がある。何から何まで至らず、ただ丸腰で傷ついているだけで不甲斐ない。

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