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映画感想2

 コーダの感想が、自分では不十分だと感じたので、続きを書きます。
私は、映画の中の下ネタより、下ネタをふった相手に、映画の中の虐げられる側の差別感情を感じて、笑えませんでした。

 主人公は、家族の中でも、家の外でもマイノリティです。家の中では、聾者が圧倒的多数で、思春期なのに他の家族達は、配慮なくマッチングアプリを見ています。聾者の娘に同じことをしたでしょうか?主人公は家の中では、他の家族たちが外で受けた差別の重圧を、代替えでサンドバッグのようにセクハラという形でことごとく受けます。主人公も、負けずに仕返しすると、サンドバッグは倍になって返ってきます。

 私は、学生の頃同じ経験を沢山しました。まるで猫がネズミを痛ぶるように何度も何度も、自分だったらなんて馬鹿な問い返しはしません。ただ他の家族は、それだけ辛い差別を外で受けていると想像する主人公が、我慢しているのです。

 でも、本当にそうでしょうか?主人公の想像や体験であって本当のところは分かりません。性病科の受診でも敢えて娘を連れて行って、通訳に使いますが、聾者の兄ではなぜダメなのでしょうか?兄は、流ちょうに筆談する場面があります。

 逃げられない場所で相手に嫌がることをするのは、相手が子供なら特に虐待です。あの場面で、主人公は逃げられたでしょうか?

 私は、普段気にも止めずにやっている差別を映画から仕返しされているようで、笑えませんでした。

 だからこそ、主人公が字幕のつかない手話の場面で、音楽は心を自由にする。と表現し、どちらの世界にも属せない自分を表現したのでは?と私は考えました。それでも、この作品は、どんな人間でも差別感情があり問題は同じことを表した大変新しい映画だと思います。

 そして、主人公の彼氏もまた同じ差別感情を持つ人間だと「君はチェロ奏者と駆け落ちする」と冗談を言う場面に現れていると私は思います。

 差別感情のない人間は私はいないと思っています。ただ、あると認識した上で、相手にどう対処するかで、自分を試されているような気が私はするのです。

 主人公の父の選択は、私は正しかったと思います。

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