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先生、あなたは私の気持ちを分からない

小学生の頃、漠然と思っていた。

昔は先生も私たちと同じ子供だったから、私の気持ちを正しく理解してくれると。そして、その未熟な私の考え方を肯定しつつも大人になるためのヒントをくれるものだと思っていた。

30歳を目の前に控え、私は子供の頃描いていた大人とやらになった。小学生の頃何になりたいと言っていたかもう覚えてないが、現在私は好きなことを仕事にして生きている。

世の中には様々な職業があり、どんな職業についた人達も好きだ。その人達がなぜその職業を選んだのかも興味がある。

そんな私にも一つだけ顔を顰める職業がある。教師だ。

私は教師という生き物にトラウマが多い。遡れば、違和感は小学五年生のときに起きた出来事に起因すると思う。

その日、私は教師という生き物が「正しい大人」で、私たち子供とは相容れない生き物なのだと悟った。

「先生、あなたは私の気持ちを分からない」

・小学五年生、課外授業

私にはクラスにじゃれ合う友達がいた。(以降Iくんとする)

成績優秀でスポーツが得意。でもいたずら好きの悪ガキの一面を持つ。典型的な「スクールカースト上位の少年」だったと思う。私はそんなIくんと話したり、ちょっかいかけられたり、やり返したりする時間がとても好きだった。

よく、ちょっかいをかけられるので怒って追いかけ回していた。子供にはよくあることで、意外とそう言った時間が楽しかったりもする。小学生なんてそんなもんだ。

当然その構図を大人は経験をしていて、理解してくれているものだと思っていた。

ある日、課外授業が行われることになった。

内容は世界の食べ物について調べるというもので、興味のある国の班に入りクラス関係なく国別の班でその国の料理ついて学ぶというものだった。

私とIくんは同じ班だった。正直ほかのクラスと合同の授業で仲のいい友達がいることは嬉しかったし心強かった。私達の班は隣のクラスが担当で、そのクラスの担任は生徒間からも人気が高かったので週に一度の授業が楽しみだった。

隣のクラスの担任、F先生は「明るく、楽しく、正しく」学年人気が1番高かった。私自身笑いが絶えない隣のクラスが羨ましかったので、課外授業でF先生の授業を受けられることも嬉しかった。

事実、F先生は愉快な人で、私達のグループは笑いが絶えなかった。とにかくトーク力があり、生徒を笑わせてくれた。みんなF先生のファンになった。私も大好きだった。しかし、ついに事件は起こる。

・大人は正義の斧を振り回す

課外授業も折り返し地点に来た頃、いつものようにIくんがくだらないちょっかいをかけた。多分私の筆箱で遊んだとかそんなレベルのものだったと思う。

私はいつものように怒った。実際のところそんなに怒っては居ないけれど、怒ってるふりをした方が周りの場が盛り上がることも知っていたからだ。

F先生はその様子に気がついた。

「星屑さんどうかしましたか」

「先生、Iくんが私の鉛筆で遊びます」

自分のクラスならば「もう、仕方ないわね」で終わり、みんな笑って終わるのだ。もちろん、F先生も鉛筆を返してあげなさいで終わるのだと思っていた。

「なんだって!?喧嘩はよくない!」

F先生は授業を中断し、私達の仲裁に入ったのだ。

「どんなときだって、みんな仲良くしないといけない。先生はそう思う。君たちが喧嘩するのは良くないんだ!」

何を言っているのだろう、と思った。はなから喧嘩なんかしてないし、私もIくんも仲がいいのだ。そういう経験は先生にもあっただろう。

「先生はそう思うよ!だから握手をしよう」

何を言っているのだろうともう一度思った。そもそも喧嘩なんかしていない上に、握手をすることになんの意味があるのか。

むしろ思春期反抗期真っ只中、握手をしたほうが気まずいのである。自分のクラスに帰ってあらぬ噂話をされかねない。Iくんも戸惑っている様子だった。私も躊躇った。

その瞬間F先生は右手を上げて大声で言った。

「先生は、喧嘩をすると握手をして仲直りする事がいい事だと思っている!みんなもそう思うよね?さぁ、同じ意見の人は拍手をしよう」

その場からぱらぱらと拍手が起こった。F先生に絶望をした。なぜ、周りを巻き込んでまで、私達の立場の悪くなることを何度も何度も強要するのか。なぜ、立場が悪くなると理解してもらえないのか。

泣いてしまった。若干小学五年生にしても、その絵は異常で怖かったのである。

とにかく私は握手をすることを躊躇った。ここまで来たら握手をした方がスムーズに事が運ぶことは大人になった今なら想像ができる(その前に下らないやりとりをしないけど…)

しかし、私は子供で意地になった。何がなんでも握手なんてしてやるものか。だってこの人の言ってること的はずれなんだもの。

そんな気持ちで泣きながら頑なに手を出さないでいた。とうとう私達は廊下に出された。

ほかのクラスからも見える廊下でF先生はしきりに握手を求めた。先生も意地になっていたのかなと思う。

その日の授業が終わる頃、私はようやくIくんと握手をした。先生は大変満足そうに「お前たち!偉いぞ!」と肩を叩いてくれた。

私はこの人が心の底から嫌いだと思った。

・大人になって回想

その後、Iくんと2日ほど気まずかったけれど、関係は元に戻った。こういう所は小学生だったと思う。

F先生の課外授業は嫌で嫌でたまらなかった。もちろんIくんは課外授業でちょっかいをかけてくることは無くなったけど、そういう問題でもなく、私はF先生という存在が気持ち悪くて仕方ないと思うようになったのだ。

課外授業最終日は調理実習だったが、私は学校を休んでしまった。凄く凄くいやで体調を壊してしまったのだ。

F先生と話す機会はそれ以来無く、今何してるかもよく分からない。20年近く昔の話だ。もう先生をしていないかもしれない。

アラサー、社会人になってから回想する。

F先生は自分の中に多分理想のクラス像があったのだろう。喧嘩もせず、したとしてもちゃんと仲直りができ、いい子で前向きな明るい理想郷。そしてそれを率いる人気の高い熱血教師F先生。

曲がったことは正し、握手で仲直り。子供とはそういうものだと思っていたのだろう。

実際は違う。いくら子供と言え、家庭環境が違ったり、性質そのものが違っていたりもする。そこに反抗期や思春期などの様々な問題が絡んでくる。子供なんて一筋縄でいかないのだ。

そんなこと、人生の経験者である先生が理解してくれていると思っていた。

私の通う小学校は当時「人権学習モデル校」だった。よって学生たちは皆清らかで人懐っこく明るく仲良く活発に見えていた。

何故なら、本を読んでいる子がいれば担任に「可哀想だからあの子を誘って遊んであげて」と言われ、本人は「本ばかり読んでないで友達と遊んでみよう」と言われる。

別にお互いに遊びたくないのに、何故か集まって遊ぶ集団が現れる。それを見て教師は言うのだ「良かったね」と。

大人になった私から言わせれば、本を読むのが好きな子は本を読んでいてもいいし、絵を描くことが好きな子は絵を描けばいい。サッカーが好きならサッカーをすればいいし、貴重な休み時間を皆で相談してドッヂボールする必要なんてどこにも無かったのだ。

他にもある。名前の呼び捨ては良くないという大人たちの決めた謎の理由で名前や名字で呼ばれていた生徒のあだ名をクラス全員で考えるホームルームがあった。

なんの意味があったのだろうか。呼び捨てだから敬意を払っていない?小学生の社会にそんな文化存在しなかった。

そうやって大人に橋渡しされた友人関係などとうの昔に破綻しており、義務教育は嫌な思い出として記憶されている。

あの学校は大人が大人に見せるための学校で、私たち子供のことを誰も見てくれなかった。だから私は教師と言う生き物に不信感を抱き続けている。学校という牢屋は無農薬栽培のための畑ではない。

・唯一好きな「先生」

私の教師不信は中学に上がっても変わらなかった。

中学1年になったとき、私はクラスに話せる相手が居なかったという理由で壮絶ないじめにあう。その時担任に相談すると言う選択肢は無かった。

「この人たちに何を言っても伝わらないし、いじめが酷くなるだけだろう」

実際あるクラスメイトはいじめを告発し、学級会が開かれた。担任は涙ながらにいじめは良くないと語った。

しかし、告発者はすぐに割れ、いじめは酷くなる一方だった。こう言ったことを教師は想定しなかった。涙ながらに語れば分かってくれると思っていたのだろうか。

そして1年の終わりの通知簿に書かれたコメントはこうだった「クラスメイトへの歩み寄りが見られません。もっと積極的に話しかければ良いと思いますよ」

酷く心が冷えた。教師という生き物は、生徒の1面しか見ずに自分の理想郷を信じているのだと思わずにはいられなかった。

そんな人達に何がわかるのだろうか。

2年に上がった時、理科担当の偏屈な教師が担任になった。(以降H先生とする)

とにかくH先生は変わった人で、クラスのイジメ問題も必死になって取り組むわけでもなく、クラスの男子で殴り合いの喧嘩が起こっても大きな対策は取らなかった。

私はこのH先生が好きだった。一見教師としては間違っているように見えるが変な正義感を振り回すタイプでもなく、個人の特性を俯瞰して面白がっていたような少し意地の悪いところがあった。

1年間大して話をするわけでもなかったが、学年の最後に通知簿にH先生に書かれたコメントは「ダイヤモンドは磨かれなければただの石です」だった。大笑いをした。40人以上クラスメイトがいる中で、私は一見いい子に見える反面サボり癖があることも、ちゃんと見ていてくれたのだ。それでもって、光る物はあるのかもしれないと言ってくれているのだ。

素直に嬉しかったし頑張ろうと思った。

恐らく似たタイプの学生だったのかもしれない。偏屈で斜めから社会を見ている生意気な中学生。

時たまその言葉を思い出し、未熟ながらに石を磨いて、今は好きなことを仕事にし、デザイナーとして生きている。やっと光ってきたのかなと思う。

・あなただって子供だったはずだ

教師なんて生き物はクソッタレだと思ってる。もちろんH先生のように良い先生とは言えなくても一人一人を見てくれている先生が居ることも分かっている。

それでも、私が会った多くの先生は「先生」で、大人(PTAや同業者)から見られることを極端に恐れ、その正しすぎるくらい正しい社会を子供に押し付ける人が多かった。

かれこれ15~20年前の話なので時代も教育方針も変わっているのかもしれない。変わっていないのならば、教師の皆さんには、受け持つ子供と同じ年頃の時に何を考えていたか思い出して欲しいと思う。

多くの子供たちは先生としての先生ではなく、理解のある大人としての先生を求めているのではないだろうか。

多分私はこの先もずっと教師が苦手だろう。いつになるか分からないが学校に自分の子供を預けることもとても嫌だ。

こう言った子供だった大人を増やさないために、教師の在り方が変わってくれれば良いなと思う。

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