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我儘

忘れたくないから書きます。
多分、鬱的表現なんだろうなと思います。
「人の気を引きたいんだ」なんて思われるかもしれません。どう思われても結構です。別に読まなくてもいいです。

ただ、もし少しだけ「こんなやつも世の中に入るんだなぁ」と誰かに思ってくれたら幸いです。


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適応障害…うつの状態になって5年間勤めた仕事を退職して、早1年。

やっと、自分から重い体を起こして、転職活動を始めました。

でもやはり、転職とは困難なようで。
選り好みなどしてると、余計に中々決まりません。


面談先の会社の人たちから、


「貴方と同じ業界で会えるのを楽しみにしてます。」

だとか、

「このくらい力があれば、この世界で十分活躍できます。」

だとか、嬉しい言葉は貰える反面、
1番欲しい内定は全く貰えません。

じゃあ期待させること言うなよ、と、怒りすら覚えます。

自分的には、転職活動、必死に頑張ってるつもりです。
でも、頑張ってる程度なんて、結果が出ないと中々人からわかってはもらえません。


親から「バイトでもいいから早く」と言われます。


『わかってる。でも今転職活動を精一杯頑張ってるんだから、そう言わないで欲しい。』と思うと同時に、この思いは甘えなのかな、とすら思ってしまいます。

だって親の言う事は、世間的には正しいのですから。

私がどう頑張ってるか、なんて、自分からわざわざ伝えないし、結果も出てないなら尚更です。

この自分でも矛盾している気持ちに反吐が出てしまいそうです。

どう頑張っても救われない、人様に迷惑をかける、親を泣かせる、こんな人間が、生きて良いのかなとさえ思ってしまうのです。

これが私の、希死念慮への足がけにもなっています。



ネットで、
「自殺する人は遺された側のことを考えてない」
とお見かけしました。

自分のこの先生き方ですら、考えることができないのです。
そんな状態の人が、他人の事までどうやって考えられるのでしょうか。


もし、自分が希死念慮に駆られる程の悩みを、頑張って打ち明けたとして、

そこで躊躇われたり、自分の欲しかった返答と違うと、一気にどん底に落とされたような気持ちになります。

そんな反応が返ってくるなら、何もこのまま言わなければよかった。と。

もし、その悩みを聞いてくれたとして、
いつまでも親身に寄り添ってくれる保証はあるのでしょうか?

それなら、その人の中で“良い奴”の自分のまま、その人の中に残って欲しいとすら思うのです。

必死に、他人の前では取り繕って生きて来たのです。


最後くらいは、我儘を言ってはいけないのでしょうか。

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