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『剽窃(オートエスノグラフィックな何か 11)』

全文無料公開

ある時、送ってもらった新刊を読んで、驚いた。

一部が、すでにパブリッシュされてた辞典の原稿の中の、ゴフマンの引用の私のオリジナルだと思っていた翻訳と、そっくりそのまま同じだったから。どういうこと?と驚いたけれど、でも、そのそっくりそのままの部分の出典を見たら、元になったその人の論文は、私の部分翻訳が載った辞典より、先にパブリッシュされている。

私が自分のオリジナルだと思うものなんて凡庸で、誰でもできるんだな。きちんと厳密に考えてやれば、同じ結果になるんだな。エビデンスベースドって、そういう結果をむしろ良しとしているんだし、そんなもんか。そう思った。ここで自分のことを凡庸って言うと、その人の書いたものの一部も凡庸って言ってることになっちゃうので、相変わらず失礼極まりないんだけど。ま、あくまで、その局所的な一部ね。

しかし、同時に、大変なことをしてしまった!と思った。だって、その新刊の元になった論文、日本の代表的な査読誌に載ったのに、読んでなかったんだもん。なので、それを文献註に上げることも、してなかった。やばい、申し訳なさすぎると、以上のことをそのまま書いてメールで謝罪を送った。もちろん凡庸のくだりは抜いた。そうしたら、別に良いですよ、と返信をもらった。

その直後に、やばすぎたと信頼してると思っていた研究者に告白したら、その人は私の読書量が少ないと、よく批判してたので、やっぱり私が反省する結果になった。そう私を批判する研究者は沢山居て、私は「頭が悪い」「教養がない」って、陰に陽に言われていた。まぁ、日本の代表的な査読誌もろくに読んでないので、怒られちゃうよね。他の余計なもの読んでないで、皆んなの読んでるもの、読むべき。

でも、なんか、ずーっとモヤモヤしていて、スピーキングアウト開始した後に、この事をやっと色々な人に言えるようになったんだけど、皆んな私に微妙な反応をするから、私も微妙な気持ちになり、モヤモヤが続いている。でも、もし変なことしていたら、丁寧に、その当の本を送ってくれるわけないし、やっぱり勘違いなんだろう。

私は書いたものは、可能な限り多くの人に見てアドバイスもらいたくて、書きかけの際に、とにかくなんでも、ばら撒いてきたし、それで、私が足りないことが皆んなにわかるくらいで、特に悪いことも起きなかったし。当の原稿も上手く書けなくて、5年はばら撒いた。辞典て本当になかなか出ないし。私みたいな皆んなのせいか。

それに加えて、最近は、私の考えていることは、それなりにエキセントリックだから、そのピースを拾っても、大したこと出来やしないって、奢った気持ちになってる。すぐ増長するタイプなので、自分でよく、戒めている。

ともかく、今は書き時だから、書けるだけ書いて、全部公開して、もらえる意見はもらっちゃっておこう。プロジェクトの全体像も、その一部の次の博論の目次も、ASAPで公開しよう。

春に、ガンになったかと勘違いした際に、もし余命が短いなら、全部投げうって、書くべきだと思っていることを全部書いて、それから死にたいと思ったから、そうする。その思いをまずは叶えることを、何よりもまず、優先する。

いつ死ぬかなんて、誰にもわからない。私は、ここまで自分が生き延びられた奇跡を、書き残しておきたい。


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