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『日本社会学会に物申す1+α』

Under Construction

日本社会学会に出した要望書に対して、一年以上経過してから、やっと会長の伊藤公雄さんからメールが届いた。しかし、そのメールの内容自体が問題のあるものだった。要点を述べるなら「問題があるかどうかは紙面上で議論せよ」と。なので、この点について再び、社会学としての方法論にかなった真摯さとは何かを説得的に書いて、要望書として出さなくてはならない。

論文や学術本で「他者の人権を侵害することの是非」は、誌面上で議論の対象とすべきことではない。人権問題を人権問題だ、差別を差別だと言うことが、論争の勝ち負けの問題に矮小化されることは、止めなくてはならない。それが学術誌に「倫理規定のある理由」そのものだ。

「カテゴリーの外挿」「区別」「論文の評価基準」「社会学が科学であること」は、地続きだ。

さらに、IさんたちのA書店から出した本に対するSさんによる批判への対応は、「論文が問題があるかどうかは、誌面上で論争するべき」という伊藤さんの書いてきたことと、論理的に同じことをが書いてあった。そのことを踏まえて、Sさんへの対応の再考を促したい。

それをしてもらわないと、人権問題を人権問題だ、差別を差別だと言うことが、論争の勝ち負けの問題に矮小化されることを止められないが、要望書に名前を連ねなかったから、関係ないという立場を取るのかもしれない。

ただ、社会学は科学だから、筋の通らないこと、論理的に矛盾していることを、要求するのは難しいし、排除すべきと考えるから、Iさんたちの本は、社会学の本ではないと言うしかなくなるが、私はそういう言い方をしたくない。

最後のこの段落は、私の好みの話。研究は、格好つけでやることじゃない。研究に必要なのは真摯さだ。格好つけは、ジェンダーエクスプレッションを含めた外見でやれば良い。むしろ、そのギャップが格好いい。バトラーしかり、である。


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