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『アイヌからのメッセージ』

昨日の夜、引用するメッセージを書いたけれど、私が屈辱的に思うのは、私にアイヌ語で話しかけてくれるこちらの人たちでは、もちろんない。私に、せっかくアイヌ語で話しかけてくれても、私にはそれにアイヌ語で返すことができないという、その状況を生み出した日本での生活を支えていた国家権力と、その国家権力を支える市民から、屈辱を受けていると感じてる。お間違いなく。

つまり、私を屈辱していることになるのは、これを読むことの出来る大抵の人たち全て、である。こういメッセージの発し方を、私はこちらの先住民から学んでいる。

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なるほど。私は直接伝えたいことがあり、それが複雑なので、それを何とかしようとして、結果、上達してると思います。

それ以外は、私の場合には、そんなに伸びないかなぁと思います。

言語学習自体好きな人は沢山いますよね。

私はアイヌ語は、一つも知りません。生まれたのアウトオブテリトリーですから。こちらでは、そういうのをストールンと言いますけど、日本にそういう感覚があるのかも知りません。北海道には、数日間、数回しか行ったことないです。なので、現在のアフロアメリカンみたいな感じ、だと思っています。

むしろ、こちらで、アイヌ語で話しかけられたりすると、すごく屈辱的に感じます。

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一般的に、以上のように考えなくて済むことを、プリビリッジドだと言う。つまり、特権を持っている、と言う。

そうして、私がこういうことを書かざるを得ないのは、私に更なる感情労働をさせること、であり、自ら学ぼうとすることで、何より避けるべきだと教えられる。それが、カナダの教育の一つのあり方であり、日本には決定的にたりないものだ。

そうして、自ら学ぶことと共に、もう一つ可能なこととして、直接役立つように「寄付をしろ」と教えられる。私が寄付を募っているのも、同様に、そのことについて伝えようと試みているから、でもある。

なかなか、わかってもらえないんですけどね。なんて上からなんだと、思うかもしれないけれど、私の土地とことばを、つまりアイデンティティを奪い、それを続けているのは、自分たちに他ならないと認識することからしか、改善は始められないので、こういう言い方をすることは、むしろ必然なんである。



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鶴田幸恵

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