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『博論全体像 part. 2 ver.1』

私は今回の博論で、日本のトランス業界(特にAFAB世界)的にも、世界社会情勢的にも、私個人の問題としても、BDSM研究に取り組まなくてはならないと、心を新たにしました。

それは、同意に関する研究でもある。なぜならBDSMとは、同意を大前提にしたものだからです。言い換えるから、なされるのは、同意の概念分析。

そして、それはジェンダー研究としてのセクシュアリティ研究であり得る。(性的な指向や嗜好、関係性、表現や行為の研究であるため)

また、トラウマ研究であり得て(トラウマとBDSMの関係は興味深いものです)、トラウマを扱う心理学や精神医学を対象とした研究であり得る(これは、私自身がプロセスワークを一つの分析手法にするため、でもある)。

そうして書くものは、フィールドワークに基づくエスノグラフィックな知識を用いて、さらに同胞との共同作業により執筆されるMulti-Ethnographyであり得る。しかも、全てがオンラインのSNS上に公開された形で執筆される。フィールドノートも全て。そのため、同胞でなかったとしても、誰でもコメントすること、批評することに、執筆段階からアクセスもできる。

それは、新しい質的調査に基づくものであり、既存の人に話を書いて人の人生を記録するのとは、別の手法を取る。しかし、オートエスノグラフィよりもずっと、論理的にエビデンスベースドであり得る。そのこと自体が、論理的に示され得る。

以上のやり方をもって、他者により、すなわち、ここではコロナイザーにより、あるいは日本語における「非当事者」によって行われがちだった調査分析を、デコロナイズする。

以上を、ともかく宣言します。

私は会話分析の手法そのものを踏襲するのをやめることにしたが、それはCAこそ至上だという洗脳に遭い続けてきたので、みずからの妥当だと思う方法論を試すことがこれまで出来なかったためでもある。しかし、その過酷な訓練は、私にインタビューを相互行為として見ること、発話を行為として見ること、またその分析方法を、私のものの見方のうちに叩き込んだ。それについては、後悔はなく、これから存分に活用していくつもりです。

倒れる直前に、ある院生さんに、私が日本で最初のトランスジェンダー研究の教授であることと一緒に、誰も研究していないことを探すことで、就職できるようする戦略について教えてもらいましたが、私は人が既にたくさんやってることには、興味をあんまり持てないし(知りたかったら本や論文読めば済むから)、試行錯誤こそ、至上の楽しみなので、好きでやるとニッチな分野やテーマを探求することに、いつも結果的になります。

また、次の博論は、私にとって2本目だし、命をかけてはやりません。楽しみとしてのみ、やります。博論が辛いのは、命かけちゃうから、です。でも、私も一本目に命をかけて、悔いはなし。その経験によって、今回は楽しく出来るのだと思います。

生きているのはしんどいけれど、好きなことをしている限り、研究は全く苦ではなく、むしろ生きる術です。ここのところ、たくさんnoteに文章を上げていますが、コン詰めているわけではなく、沢山書けてしまうから、です。

ご心配なく。もし心配なら、そして心配ではなくても、ぜひドネーションしてください。プロジェクトを支えていただけますよう、よろしくお願いいたします。


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