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猿の子を救った獅子_現代人のための仏教説話50

昔、天竺(インド)の深い山の洞窟に一頭のライオンが住んでいた。このライオンは常々、「わしは獣の王である。であるから、すべての動物を守り憐れまねばならない」と考えていて、その覚悟には固いものがあった。

さて、この山には猿の夫婦が住んでいた。子猿が二匹いる。子育ては母猿の役目で、子猿がまだ小さい時、母猿は一匹を前に抱き、一匹を背中におんぶして、木の実や草の実を取って子猿を養っていた。ところが、子猿が成長して重くなると、二匹の子猿を抱いたり背負ったりして山の中を飛び回ることができなくなった。食べ物を取らなくては親子ともに生きていくことができないし、かといって子猿を置いて山にでかけることもできない。なぜなら、子猿だけ置いて出かけたら空から恐ろしい鳥が飛んできて子猿を攫っていくかもしれないし、地上のさまざまな動物も同じように狙ってくるに違いないからである。

母猿は思案に暮れ、困り果ててしまった。このままでは母子ともども飢え死にしてしまう。

そんな母猿の脳裏にふと浮かんだのが、この山の洞窟に住んでいるというライオンのことである。「そうだ、ライオンに子猿を預かってもらい、その間に山へ出て食べ物を取ってくれば死なずにすむ」と考えた母猿は、さっそくライオンのところへ行き、

「ライオンは諸々の獣の王でございます。王であればすべての獣への憐れみの心をもち、守ってくださるものと存じます。私も獣の仲間でございます。どうか、私を助けてください」

 と訴え、事情を話した。

子猿が小さい時は一匹を抱き、もう一匹を背中に背負って木の実や草の実を取って暮らしていたこと、しかし子猿が大きくなったため重くてつれて歩けなくなったこと、といって子猿だけを残して山に行ったら、子猿が鳥や他の獣たちに襲われる心配があること、ついては自分が山に食べ物を取りに行っている間だけ子猿を預かってもらえないか、と諄々と話し頼み込んだ。

「そうか。事情はよくわかった。ならば、さっそく子供たちをつれてきなさい。わしが必ず守ってあげる」

母猿は喜び感謝し、子猿たちをライオンに預けると、山の中に食べ物を探しに出かけた。

子猿を預かったライオンは、引き受けたからには間違いがあってはならないと二匹の子猿を目の前に座らせ、油断なく見守った。しかし、あまりに気を張り過ぎたせいか、しばらくすると少し眠気がさしてきた。そして、ついうっかり束の間、居眠りをした。そのようすを、近くの木の枝に止まって見ていたのが、一羽の鷲である。鷲はずっと前から木の枝に隠れていて、隙あらば子猿をさらおうと狙っていたのである。

鷲は木の枝を飛び立つと一直線に子猿めがけて飛来し、両足に一匹ずつ子猿を摑み飛びあがった。一瞬の出来事である。異変に気づいてライオンが目を覚ますと、子猿の姿が見えない。驚いて洞窟から出て見回すと、向こうの木の上に子猿を両足に提げた鷲が止まっていて、今にも子猿を食べようとしている。ライオンは驚き慌てて鷲の止まる木の下に走り寄り、鷲に向かって言った。

「そなたは鳥の王者であり、わしは獣の王者である。共に王者たる者であれば、それなりの思慮分別があってしかるべきであろう。わしの言うことを聞いてくれ。実は、その子猿の母親がわしの洞窟に来て、このように頼んだのだ。親子は山の木の実や草の実を取って食べて暮らしているが、子猿が大きくなったため抱いて歩けなくなった。しかし、子猿を置いて母親が山に出てしまうのは心配である。そこで山に食べ物を探しに行っている間、わしに守ってくれと預けたのだ。だが、わしはうっかり居眠りをして、そなたに子猿を取られてしまった。どうか、わしに免じてその子猿を返してくれ。子猿を守ると母猿と約束しておきながらそなたに取られたのでは、わしは母猿に合わす顔がない。心臓が張り裂けるほどつらい。それに、よく考えてみるがいい。わしの言うことを聞かないという法はないはずだ。なぜなら、わしを本当に怒らせたら、そなただって只ではすまなくなるからな」

「言われることは誠にもっともだが、こちらの身にもなってくれ。この二匹の子猿は私の今日の食事ですからな。これをお返ししたら私は飢えてしまう。獣の王のあなたは恐ろしくはあるが、わが命には代えられない。だから、お返しするわけにはいかない。子猿は私の命の綱なのだ。わかってほしい」

「なるほど。そなたの言われることは道理である。ならば、こうしようではないか。その猿の子の代わりに、わしの体の肉をそなたに進呈する。それを今日の食事としてくれ」

そう言うやいなや、ライオンは刃のように鋭い爪で自らの太腿の肉を切り裂き、二匹の子猿ほどの大きさに丸めて樹上の鷲に投げつけた。

さしもの鷲も子猿を返さないわけにはいかなくなり、二匹の子猿を返した。ライオンは子猿を受け取り、血だらけの体を引きずるようにして洞窟に戻った。と、そこへ木の実や草の実を取りに行った母猿が帰ってきた。ライオンが事の次第を話すと、母猿は驚き感激し、感謝の涙を雨のように流し続けた。ライオンは言った。

「そなたに子供を守ってくれと頼まれたので、それを重大視してやったわけではない。約束したことを違たがえるということの罪の重さを恐れてやったまでのことだ。それに、わしは獣の王と言われる立場にある。すべての獣を愛する気持ちには深いものがある」

さて、そのライオンというのは、実はお釈迦様だったのである。そして、父猿は迦葉尊者(摩訶迦葉。釈迦十大弟子の一人)、母猿は善悟比丘尼に(不詳)であり、二匹の子猿は阿難( 阿難陀の略。釈迦十大弟子の一人)と羅睺羅(釈迦出家前の子。のちに出家し釈迦十大弟子の一人)であり、鷲は提婆達多(デーバダッタ。釈迦の従兄弟といわれ、終生釈迦の教えに反抗した)だったと伝えられている。

 〔今昔物語集・巻第五第十四〕

【管見蛇足】約束を守ることが信頼の基もとい

 約束を守ることの大事さを説いた話である。「約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると、社会生活はできなくなる」(菊池寛)。まったくその通りで、この世は互いの約束のもとに成り立っている。しかし、現実には約束はしばしば破られ、争いや悲劇の原因となっている。人間の価値は約束を守るか否かで決まると言ってよい。
「約束を守ることを、常に頭に置いておきなさい」(ジョージ・ワシントン)、「勇気ある人は、皆約束を守る人間である」(ピエール・コルネイユ)。「約束したことは必ず守る」(今里広記)と断言する人もいる。中には、「敵に対しても、約束は守らねばならない」(シルス)とまで言う人も。
 大阪夏の陣で、徳川方から高禄で誘われた真田幸村は、「いったん約束を結んだことの責任は重いと存じます。日本中の半分を賜るとしても、気持ちを変えることはできません」と誘いを断り、大阪方に留まって敗戦に殉じている。約束は自分自身との約束である。「人間たる者、自分への約束を破る者が最もくだらぬ」(吉田松陰)。
 ところで、この話のライオンは「獣の王」すなわち責任者・リーダーの責務・覚悟というもののあり方をも示している。「リーダーは命がけで物事に当たることが大切です。部下のためなら斬られる覚悟もある、と。だからこそ、部下は感動するわけです」(童門冬二)、「リーダーに共通して求められるものは『いかに自己犠牲ができるか』だと思う。より大きな目的のために自分を捨てること、それが自己犠牲の本質だ」(ジョー・トーリ)。
 リーダーの責任は重い。「一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさる」(ナポレオン・ボナパルト)のだから。リーダーの資質は、何か困難に出会ったときにわかる。「疾風に勁草を知る=強い風が吹いたとき、本当に強い草がわかる」(『後漢書』王覇伝)、「荒海は、リーダーシップを試す本物のテストである。穏やかな海ではどんな船長もみんないい船長だ」(スウェーデンの諺 )。何か事が起こったとき、わが身を捨てることのできる人となれ。お釈迦様はそう教えておられる。


仏教説話50 表紙仮画像

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