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貧女を救った観音様_現代人のための仏教説話50

奈良の都の右京、殖槻寺うえつきでらのほとりの里に一人の孤児の娘がいた。未だ嫁がず、夫はおらず、名前はわからない。父母が元気でいるときは、多くの財産を持って裕福に暮らし、里にたくさんの家や倉を建て、観世音菩薩の銅像を一体お造り申し上げた。銅像の高さは二尺五寸(約七六センチ)で、家から離れたところに仏殿を建て、そこに安置して供養した。

聖武天皇の御代(奈良時代前期)に父母がみまかり、男女の使用人が逃げ去り、そのため牛や馬も死んでしまった。財産の無くなった貧しい家に空しく一人、昼も夜も涙を流しながら泣き暮らしていた。

聞くところによると、観音菩薩は人の願いをよく叶えてくれるという。そこで娘は、銅像の手に縄を繫いで引き、香華と灯明を供え、ご利益があるようにとお祈りした。

「私はこのように一人っ子で、父母のない孤児で一人ぼっちです。財産無く家貧しく、生活をしていくにも手立てがありません。どうか私に福をお恵みください。早くしてください。すぐにでも施してください」と、夜昼なく泣きながらお願い申し上げた。

ところで、同じ里に裕福な富者がいた。妻に亡くなられて鰥夫やもめ暮らしである。この男が娘を見て気にいり、仲人を通して結婚を申し込んだ。娘は即座に断った。

「私は今大変に貧しく、裸同然で着るものさえありません。こんな恥ずかしい状態でどうして結婚することなどできましょう」

仲人が帰ってこのことを男に告げると、男は、「彼女が貧しくて着るものさえないのはよく知っている。そんなことより、私の願いを聞いてくれるかどうかだ」と言った。そこで仲人が娘のところへ行って男の言葉を告げると、娘は「ダメです」と言う。それを聞いた男は強引に娘のところへ出向き、執拗に口説いて結婚を迫った。男の熱意にほだされて、娘はようやく結婚を承諾し、二人は結ばれた。

次の日は終日雨が振りやまず、そのため男は三日間そこに留まることになった。すると男が、「腹が減った。飯を食わせてくれないか」と言う。娘は「はい、ただいま」と言って竈に火をつけて空からの鍋を置いたものの、(煮るべきものが何もなくて)頰杖をついて蹲ってしまった。そして、家の中をうろうろと歩き回り、大きなため息をついた。

やがて娘は口を漱いで手を洗い、仏堂に入り観音菩薩に繫いだ縄を引き涙ながらに訴えた。

「どうか私に恥をかかせないでください。すぐ私に財を施してください」

そして、仏殿から出た妻は、先ほどのように頰に手を当て、竈の前に蹲ってしまった。

するとその日の申さるの刻(午後四時ころ)、にわかに門を敲たたいて呼ぶ声がした。出てみると隣の金持ちの家の乳母だった。大きな櫃(蓋のついた大型の箱)にさまざまなご馳走が入っていて、いい匂いがぷんぷんし、足りないものはなかった。食器はすべて金属製の椀と漆塗りの皿である。乳母はそれらを娘に渡して言った。

「お客様がいらっしゃると聞きましたので、うちの奥様がいろいろと取り揃えて差し上げるものです。でも、食器はあとでみんな返してください」

娘は喜び感激し、着ていた黒い着物を脱いで使いの乳母に渡し、「お礼に差し上げるものがございません。このように汚れたものだけですが、どうかお受け取りください」と言った。乳母はそれを受け取って肩にかけると、すぐに帰っていった。

いただいたご馳走を夫(男)の前に並べて奨めると、それを見た夫は不思議に思い、ご馳走を見ずに妻の顔ばかりを見た。
翌日、夫は去る時に絹織物一○疋ぴき(着物二○着分)と米一○俵を妻に授けて、「絹はすぐに縫って着物にし、コメは急いで酒にしなさい」と言った。その翌日、娘がご馳走をくれたお金持ちの隣家へ行き、奥方に喜びと感謝を込めて厚くお礼を述べると、「あら、変なことを言う娘だね。鬼神にでも取り憑つかれておかしくなったんじゃないの。私は何のことかさっぱりわ
からない」と言い、使いに来た乳母も「知らない」と言う。

娘はからかわれたような気持ちになって家に戻った。そして、いつものように観音菩薩に礼拝しようと仏殿に入ってみると、何と、昨日使いに来た乳母に着せた黒い着物を観音菩薩が着ていらっしゃるではないか。

それでわかった。昨日のご馳走は、観音菩薩のお恵みだということが。これによって、娘は仏の因果応報の道理を深く信じ、ますます心を込めてお勤めし、観音像を敬った。

それからというもの、以前のように富裕になって飢えることも心配事もなくなって、夫婦ともに天寿をまっとうし、長生きしたという。

〔日本霊異記・中巻第三十四〕

【管見蛇足】美しい魂こそが救われる

 裕福だからといって驕ることなく、仏堂を造って観音像をお祀りした娘の両親、金持ちからの縁談を「自分にはふさわしくない」と言って断る娘、「貧しくてもよい。私はその娘を嫁にしたい」と言う男。みんな謙虚で無欲、正直で清廉である。特に、貧しくとも毎日観音菩薩を礼拝し、ご馳走のお礼に着ている着物を乳母に渡す娘の魂は美しい。仏の加護はそういう人にもたらされる。「天は正義に与し、神は至誠に感ず」(東郷平八郎)るのだ。結局、「人間の運命は、自分の魂の中にある」(ヘロドトス)のだ。

仏教説話50 表紙仮画像

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