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貧女の福徳_現代人のための仏教説話50

聖武天皇の御代(奈良時代前期)に、奈良の都の大安寺の西の里に一人の女がいた。大変に貧しく、生きていくことさえおぼつかないほどに飢え苦しんでいた。

ところで、世間では「大安寺の丈六(約五メートル)の仏様は、願い事をすぐに叶えてくださるそうだ」と評判であった。聞いた女は、花・香・油(灯明用の油)を買い求め、仏前にお供えしてお願い申し上げた。

「私は、前世で幸福になれるような行いをしませんでした。そのため、今この世で貧窮の苦しみを受けております。どうか私にお金をお恵みくださり、貧乏の憂いを無くしてください」

女は、何日も何か月もお参りし、願い続けた。その日もいつものように花・香・油をお供えして家に帰り、眠った。そして次の朝、外に出てみると門の橋のそばに銭四貫(銭千枚が一貫)が置かれていたのである。そして、銭には短冊がついていて、「大安寺の大修多羅供(大般若経を研究する大会)の資金」と書かれていた。

女は驚き恐れ、すぐに銭を寺に持っていった。立ち会った寺の修多羅供の僧たちはすぐに銭を入れてある蔵を調べたが、蔵は封印されたままで開けられた形跡はない。ところが、蔵を開けてよく見ると銭四貫が減っていたので、女の持ち込んだ銭をそこに納めた。

女はまた仏前に花・香・油を供えてお参りし、家に帰り眠った。そして翌朝、女が庭を見ると、またそこに銭四貫が置かれていて、先日同様「常修多
羅供(大般若経を研究する常会)の資金」と書かれた短冊がついていた。女はまた銭を持って寺に行った。僧たちが銭の入れ物を調べたが箱は封印されていて、開けられた形跡はない。が、箱を開けてみるとまた銭四貫が減っていたので、女の持ち込んだ銭を箱に納めた。

女は仏像の前で幸せを願い、家に帰って眠った。そして翌朝、戸を開けてみると、敷居の前にまたしても銭四貫が置かれていて、「成実論宗分(成実論を研究する会)の資金」と書かれた短冊がついていた。女はまた銭を持って寺に行き、事情を話した。僧たちが銭を入れてある箱を調べたが箱は封印されていて、しかし、開けてみるとやはり銭四貫が減っていた。

いよいよ不思議に思った寺では、寺にいる六宗(三論・法相・華厳・律・成実・倶舎の六宗)の学頭(主席僧)が集まり、「いったいお前は何をしたのだ」と女に事情を問い質ただした。

「私は、これといって特別なことはしていません。ただ、私はとても貧しく、生きていく手立ても頼るところもありません。それで、この寺の丈六の仏様に花・香・油をお供えして、幸せを願っただけのことです」

集まった僧たちはそれを聞き、みんなで相談したうえで、「これはお前に仏様が下さったお金である。だから、寺やわれわれが受け取るわけにはいかない」と、銭四貫を女に返したのであった。銭四貫を得た女は、それを元手に利殖の機縁に恵まれてたちまち大金持ちになり、長命を保ったという。

丈六の仏の力と、信仰に篤い女の真心込めた祈りがもたらした不思議な出来事である。

〔日本霊異記・中巻第二十八〕

【管見蛇足】正直に勝る宝なし

 極貧の中で、供物を携えて仏をお詣りする一途な女の姿は、信仰の深さを思わせる。しかし、それにも増して感動するのは、目の前に置かれたお金を寺に返しに行く正直さである。学ぶべきは、そこにあるのではないか。「正直の頭に神宿る」のである。
「日々正直に行動することが、成功に達する最も確実な道だ」(チャーチル)、「正直ほど富める遺産はない」(シェークスピア『終わりよければすべてよし』)。正直であることは自らを守ることにもなる。「自分の生地はごまかしきれない。正直こそが処世の一番安全な道」(松下幸之助)、「正直は最良の政策」(セルバンテス)なのである。

仏教説話50 表紙仮画像

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