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SS「スウィートホーム」

※収載書籍『令和元年のゲーム・キッズ』→クリック
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「IDも無し宿も無しの生活はなかなか過酷です。逃亡者は必ずそのうち家族のところに戻ってくるものです。家族ならわかってくれる、かばってくれるんじゃないかなんて甘い考えでね」
 捜査官はそう言い残して帰っていった。その直後のことだ。
「ただいま」
 おどおどしながら、両手をすりあわせていた。
「お父さん......」
 ヒゲが伸び、顔は日に灼けて泥色になっていた。服は煮染めたように汚らしい。
「迷惑だとは思ったんだが......お前とシンイチにもう一度、その、会いたくて」
 老人はこちらの顔色をうかがいながら部屋に上がってきた。自分がもう生きている資格のない人間だということ、そして私に一家の恥だと思われていることを、わかっているのだ。
「お疲れでしょう。とりあえずゆっくりしてください。捜査官もしばらくは来ませんから」
 父の表情がぱっと明るくなった。私は息子を呼んだ。
 シンイチはきょとんとしていた。ほんの半年ぶりなのだが、誰だかわからなくなっている様子だった。
「ほら、覚えているでしょ。おじいちゃんよ」
「そうか、おじいちゃんか! どこに行っていたの!?」
「ちょっと......旅行をしていたんだ」
 息子は父に走り寄ろうとして、足を止め、後ずさりした。悪臭に気づいたからだ。父はそのことに傷ついた表情をした。
「すまん。シンイチ。本当はな、私は......おじいちゃんは、もう生きていてはいかんのだ。年寄りは死ななければならん。そういう決まりになっとるんだが、その......」
 父は法定寿命である50歳を超えた時に、死ぬ勇気がなく、逃げ出した。ホームレスとして生きのびていたのだ。そんな家族の恥、いや人類の恥が存在することを、幼稚園児に説明するのは難しい。私は父に言った。
「お父さん、いいの。気にしないで。私はね、お年寄りにも存在意義はあると思っているのよ。特にほらシンイチみたいな小さな子供にはね、お年寄りがいろんなことを教えてくれることが大切だって、最近そう思っていたの」
「ありがとう。じゃあ......」
 私は頷いた。
「ここで、この家でゆっくりしていっていいのよ」

 風呂と着替えを済ませた父に、息子も打ち解けてきた。
「おじいちゃんのこと、思い出したよね? シンイチずいぶんかわいがってもらったのよ。覚えてる? ほら、猫も飼ってた頃」
「そうだ! タマがいた」
 息子が叫んだ。
「タマ、なかよしだった。かわいかったなあ。あの子をおじいちゃんが殺したんだ」
「ち、違うぞシンイチ。殺したりしない。連れて行っただけで......」
「保健所にね」
「いや、どこかのいい人にきっと、もらわれて」
「そんな可能性はほとんどないわ。きっとあれから殺されたわね」
 私はありありと思い出した。父親が猫アレルギーがあるとかノミが出たとか騒いで、飼っていた猫を捨てた時のことを。
「今考えると自分の手で殺してあげた方がずっと良かったわ」
「す......すまなかった」
「責めているわけじゃないのよ。こういう、昔のみんな忘れているような話ができることも大事だと思うの。そうだお父さん、お腹減ってるでしょう」
 運良く餅があったので、焼いて、食べさせた。父の好物だ。がつがつと餅をほおばる父の様子を私と息子はわくわくしながら見ていたが、特に何も起きなかった。
「お前達にな、私はまだまだ、いろいろなことを教えたいと思っていた」
「おじいちゃん、お腹痛いの?」
 父は具合が悪そうに腹をさすっていた。餅の食べ過ぎだ。
「知識をだな、伝えなければならん。年寄りにはそういう責任があると、考えとるんだ」
 父は落ち着いてきたようで、だんだん偉そうな口調になっていった。
「ええ、お年寄りの知識は大事ですよね。シンイチも知ってるでしょ。バーチャルじいさんって」
「うん!」
 首をかしげている父に、息子は教え諭す口調で言った。
「おじいちゃん、最近はね、ネットからもおじいちゃんを呼び出せるの。便利なんだよ。バーチャルさん、バーチャルじいさーん!」
 その声に反応して部屋にホログラムの老人が現れた。
「なんじゃ」
「ねえバーチャルさん。教えて。うちのおじいちゃん、お餅食べ過ぎて苦しいんだって。どうすればいい?」
「うん、餅なら、たんなる胃もたれじゃな。飲みたくなるだろうが水は少し控えて、大根があったらおろして少しだけ食べるといい。ジアスターゼという成分が消化を助けてくれる」
「ね!」
 息子は得意げに言った。
「すごいでしょ。ジアスターゼって、おじいちゃん知ってた? 今はネットで呼び出せば何でも教えてもらえるから、おうちにはお年寄りなんて、いらなくなったんだよ」
「あ......ああ」
 父の表情が曇った。
 息子はいつになくはしゃいでいた。自分の部屋に何かおもちゃを取りに行き、すぐに戻ってきた。
「おじいちゃん、遊ぼう」
 と言った。
 息子がその手に持っていたのは、黒い拳銃だった。
 父はぎょっとしていた。
「最近はそんなぶっそうなおもちゃが......」
「捜査官は子供達のあこがれの仕事だから。老人退治に使ってる武器はおもちゃになって大人気なの」
「そうか、嫌な流行だ」
 老人は、その武器で撃たれる側なのだ。
「おじいちゃん」
 父は顔を上げ返事をしかけたが、息子が呼んだのはバーチャルの方のおじいさんだと気づいた。
「人を殺すんだったら、どこを撃てばいい? 頭かな?」
「いいや」
 コンピュータボイスが答えた。
「頭蓋骨は硬い。小口径の拳銃の場合、弾丸が貫通しないこともある。弾が脳の中に留まることもあり、その場合、ターゲットはひどく暴れまわる。半分に切ったミミズみたいにな。それが1時間は続くから、とても厄介なんじゃ。至近距離の場合は胸部を狙うといい。心臓に当たらなくてもいい。ショックのため運動能力はすぐに失われ、そのまま静かに死んでゆく」
「シンイチ」
 父は苦々しい表情をしていた。
「人殺しの知識はいらん。そんな遊びはやめておきなさい」
「いるよ。だって僕、大きくなったら、老人を殺すんだから」
「あら」
 と、私は言った。
「大きくなってからじゃなくてもいいはずよ。ねえ、バーチャルさん」
「その通りじゃ。50歳オーバーの老人には生存権はない。特に逃亡者の場合、家に入ってきたら、家族であれ、不法侵入である。即座に殺しても構わん。どんな状態であれ、正当防衛になるからの」
「そっかぁ」
 パン、と乾いた音が響いた。反動で飛ばされ、息子は両手で拳銃を持ったまま尻餅をついていた。
 やっぱり、本物だった。さっきの捜査官がわざと忘れていった拳銃だ。
「うわー」
 座り込んだままで、息子は目を輝かせていた。
 父は......その汚い老人は、胸と口から血を吐きながら、椅子から滑り落ちていった。

 お年寄りにも存在意義はある。特にシンイチみたいな小さな子供にとって、人が死ぬところが見られる機会はとても貴重なものだった。そして死体の後片付けを手伝ったという経験も。
 死体は引きずって、玄関から出した。すぐに回収に来てくれるらしい。
「血で汚れた服や家具は、熱い湯ではなく、冷たい水で洗ったり拭いたりするといいぞ。湯を使うと血液中のタンパク質が固まり、かえってとれにくくなるんじゃ」
 バーチャルじいさんのアドバイスを聞いて、私と息子はバケツに冷水を用意して、ぞうきんとモップで床を掃除した。
 とてもきれいになった。


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