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故郷を捨て、今はポケモントレーナーのような生き方に憧れる

 消滅可能都市と言われる田舎で育った私は、学生時代に大人たちから伯父の悪口をたくさん聞いて育った。実家は100年以上続く老舗。山に囲まれた盆地にある小さな街では名前、顔も広まり、ご近所さんはもちろん、教師までもが口を揃えて伯父の悪評を言った。

 極め付けは、成人式当日。早朝から車で5分ほどのところにある美容院で、顔見知りの美容師さんが、着付けのために借り出されていたおばさんに私の家族構成を話した。すると、さっきまで黙って、腰紐を巻きつけてくれていたおばさんは「あなたのおじさんと私は同級生だったから、どれだけ威張っているかよく知ってるよ。こーんなに太っててー」と、口を大きく膨らませた。その姿を見て美容師さんは甲高い声で笑った。

 このような状況には慣れてしまった。得意の愛想笑いでその場を乗り切った。だが、母から引き継いだ薔薇のような鮮やかな紅色の振袖に袖を通しても、心は弾まない。チクチクするトゲが全身を覆っているような不快感を抱いた。成人式の日の一番心に残るエピソードになった。

 別に私は伯父が好きなわけではない。むしろ、軽蔑していた。伯父のことも、耳を閉ざしたくなることを一方的に言ってくる人も。大人たちから悪意の吐け口とされる特殊な環境は、故郷を捨てる最大の理由になった。

 その後、4都府県、6ヶ所で暮らし、その間一度もマンションの更新をしたことがない。どこで暮らしても、食べて、歯を磨いて、ダラダラして、寝て、起きてー。住んでいたマンションの他の住民の顔さえも知らず、誰にも見つかりたくない、知られたくないと透明人間のように過ごしていた。

 人を避けるように暮らしていた私の考え方を一新する出来事が、意外な形で訪れた。

「カルテット」のポスター

 軽井沢を舞台としたフジテレビ系ドラマ「カルテット」を鑑賞した時のこと。物語の中で主演の松たか子らがカーリングをする姿を見て、好奇心の波が一気に押し寄せた。スポーツは好きだが、カーリングは未経験。すぐに撮影された場所をネットで調べ、誰でもカーリング体験できることを知った。ミーハー精神がうずいた。行くしかない。そのまま予約した。

 軽井沢の地を踏んだ。東京発の新幹線を降りると、少し肌寒さを感じ、脱いでいたウィンドブレーカーを羽織った。すーっと大きく深呼吸。空気に鮮度はないが、東京よりも新鮮だと感じるするほど、気持ちは浮かれていた。

 同行者は遠距離恋愛中の恋人。彼も「カルテット」ファン。さらに、一度もやったことのないカーリングに挑戦することを「面白そう」と前のめりになるタイプだ。

 私たちは軽井沢風越公園内にあるカーリング専用施設「軽井沢アイスパーク」に到着し、カーリング体験コースに参加した。

軽井沢アイスパーク

 会場には黒色ジャンパーのポケットに手を突っ込んでいる小学校高学年くらいの女の子がいた。彼女の両親やおばあさんが話しかけても、どこか浮かない返事。そして、1人家族から離れて掲示物を興味なさそうに眺めていた。

 私は彼女に釘付けになった。なんとなく見覚えがあるからだ。家族と旅行へ行くことに、少し恥ずかしさを感じる気持ち。知り合いには会いたくない、ダサいと思われたくない。そんな、ませた思いが蘇ってきた。

 彼女たち家族は、私たちと同じコースの参加者だった。他にも幼稚園児の女の子を連れた親子3人、外国人カップルがいて、私たちも含めると合計11人だった。

 試合形式の対決を行った。私たちは幼稚園の女の子を擁する親子3人と同じチームになった。念願ののカーリングに私と恋人は、熱狂。「掃け」を意味する「ヤップ!」を大声で叫ぶなど、気迫では負けなかった。

 すると、終始だるそうにカーリングをやっていた、あの少女が言った。

 「怖いんだけど」「本気すぎ」。

 故郷での経験から厳しい言葉に敏感な私は、字面にするとドキッとする言葉に一瞬身構えた。が、言葉を発した少女はクスッと笑っていた。

 どこか気怠そうな少女を笑わせ、そして楽しませることができた。嬉しさ、誇らしさ、そして恥ずかしさから、私と恋人は顔を見合わせて笑った。

 彼女の笑顔に応えようと、他の人たちも試合に没頭し、延長にもつれこむほど。同点で迎えた最終回は、私たちと同じチームのお父さんが投げることになった。幼稚園の娘さんの期待の眼差しを一心に受けたが、結果は惜敗。終わった後、私たちはお父さんに感謝と労いの言葉をかけた。

 あの少女はというと、私たちに「本気すぎ」って笑いながら声をかけてきて、言葉ではコミュニケーションを取れていなかった外国人カップルと記念撮影もしていた。全員が笑顔で幕を閉じた。

 故郷では、土足で踏み込んでくる人々に辟易し、人と関わらなければ幸せに暮らせると思っていた。しかし、人と関わらなければ、気分が高揚することも、自分が笑顔になる回数も少なくなる。もちろん、傷つくことも。そんな平坦な人生も幸せかもしれないが、せっかく言葉や文化を持つ人間に生まれたのなら、他人と交流し、人生にいい刺激も悪い刺激ももらうのも、悪くない。むすっとした表情から一転し、大きな口を開けて笑った彼女を見て、そう感じた。

 どこでも住めるとしたらー。そう問われた時に、価値観がガラッと変えてくれた軽井沢が浮かんだ。


 軽井沢に住むことができたら、昔、ポケモンのゲームをしていた時に、ゲーム内の道端で目が合っただけで勝負を挑んできた勇ましいトレーナーのように、たまたま同じ時間、同じコースを予約して出会った人たちとカーリング対決がしたい。そして、そのひとときの交流を思う存分満喫したい。どこでも住めるのなら、こんな自由な暮らしがあってもいいはず。


#どこでも住めるとしたら
#エッセイ

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