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池波正太郎と同じ味覚を持つ0歳児


 私と夫は、生まれ育った土地も環境もそれぞれの性格も正反対です。そんな私たちの揺るぎない共通点は、食いしん坊であるということ。旅行先ではその土地のスーパーに赴き、現地の調味料、食材やご当地ならではの食に舌鼓を打ちます。特に、八丈島のスーパーで買って食べた島寿司は、安価にも関わらず、肉厚かつ本格的な味わいで感動しました。

 そんな夫婦から生まれた娘は、食いしん坊のサラブレッドです。離乳食を始めた生後5ヶ月から与えられたものはなんでも食べます。たまに拒否する時もありましたが、数日経てば元通り。初めての食材にも臆する素ぶりは全く見せません。

 しかし、私たち夫婦には娘の食に関して、ある悩みがありました。それは「おいしいと思って食べているのか?」ということでした。娘はいっぱい頬張ってくれますが、常に無表情なのです。美味しいと思って食べているのか、そうではないのか全く分かりません。どうせ食べるなら美味しいと思って欲しい。色々ベビー用の調味料を使ってみたり、いい食材を使用したり、創意工夫をしましたが、娘は食事中に笑顔を浮かべることはありませんでした。


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 毎年1月、夫の祖父の誕生日会を親戚一同で祝う会があります。今年の92歳のお祝いは東京・神田駿河台の山の上ホテルの中にある「てんぷらと和食山の上」で行われました。神保町の駅からホテルまで急な坂を登らないといけません。息を切らしながら、まだかまだかと登る私たち夫婦を尻目に、夫に抱っこ紐で運んでもらっていた娘は「キャッキャッ」とはしゃいでいました。

 「てんぷらと和食山の上」このお店を愛した著名人の1人が、「鬼平犯科帳」などで知られる小説家の池波正太郎さんです。食通でも知られる池波さんは、同店をエッセイで取り上げるほどお気に入りだった様子。私たち夫婦は池波さんが紹介したお店を巡ったこともあり、彼の舌には勝手に絶大な信頼を寄せています。

 私たち夫婦は1年前も同店を訪れたことがありましたが、生後11ヶ月の娘にとっては初めてのお店。今回は広いお座敷で、爆速ハイハイガールの娘にとっては最高の場所でした。まず始めに市販の離乳食を食べると、大人たちが天ぷらを満喫している真下で、部屋を縦横無尽にハイハイ。余ったイスを手押し車の容量で押し、親戚たちに愛嬌を振り撒いて紙のコースターを集めると、満足そうに並べていました。赤ちゃんでいることを思う存分楽しんでいるように見えました。

 回の終盤になった頃、さつまいもの天ぷらが各テーブルに運ばれました。人の腕の太さくらいあるさつまいもを約1時間かけてじっくり揚げたものです。外はさっくり、中はホクホク。口に入れれば、甘みがいっきに口の中で広がる罪深い味でした。

 私は夫とてんぷらのかかっていない中心部なら娘を食べられそうだ、と相談し合い、ものすごいスピードでハイハイしていた娘を自分の膝に抱き抱えました。その頃になると、娘も広い部屋でハイハイしたのが疲れたのか、大人しくしていました。そんな疲れ切った娘に、夫が小さく取り分けたさつまいもを口に運んでやりました。すると、娘はもぐもぐと口を動かし、夫の方へ前のめりになって、もう少しちょうだいとアピールしているようでした。さらに、ひと口、もうひと口とあげている間に、娘は「うー」と言いながら、眉間から鼻にかけてシワを寄せて、くしゃっと笑ったのです。

 「美味しいの〜」。私も夫もその様子を見ていた義母、義父もみんな娘のうれしそうな笑顔を見て、美味しいと思っているんだなっと感じとりました。そして、娘の食いしん坊スイッチが刺激されたのか、もっともっとと天ぷらの方へ手を伸ばし、夫が制止しなければ、1人で大きなさつまいも天ぷらを食べ切ってしまいそうな勢い。口に入るたびに笑顔を浮かべていました。

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 美味しいものを食べれば、幸福感で満たされ、活力がみなぎる人も多いと思いますが、赤ちゃんも例外ではない。娘が食事中に初めて見せた笑顔に、私はそう感じました。美味しいものを食べふとつい笑みが浮かぶ、そんな経験をもっと娘にさせたいと思う一方で、今まで私や夫が作った離乳食は娘にとってそんなに美味しくなかったのかと悲しい思いも感じました。池波正太郎さんと同じ感性の味覚を持つ娘。彼女を納得させる料理を出せるか、親の力量が試されそうです。



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