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思考

 征牙は部屋を出た。そして自室に向かって歩き出す。もう十時半になっていた。まだ手には孤蝶の腕に感覚が残っている。華奢で折れそうな腕だった。そしてあの目。つぶさにこちらを観察してくるような、疑ってくるような目。孤蝶がどれほどまでに厳重に他人に注意を払っているかわかるというものだ。


 征牙は自分の髪をかきあげる。白い髪の中に黒髪が一筋入っている。彼女とは間反対の色だった。
 部屋に戻るとすぐに鋭針がやってきた。
「首領。新しく闇組織がこちらの縄張りに……」
「殺せ」
 短く答える。すると鋭針は頷いた。


「御意」
 征牙はため息をついてソファに座る。そして目を閉じた。瞬きをしなかったせいで目が乾燥してしまった。コンタクトレンズが目にチクチクと嫌な刺激を与える。
「孤蝶……」


 征牙は孤蝶のあられもない姿を思いだした。
「……俺をどれだけ追い詰めたら気が済むんだ。いいや……本当は『僕』が悪いのだが……」
 そう征牙はつぶやいた。

 孤蝶は部屋で策を練っていた。蝶の館に帰る前に情報を集めておいた方が得策だろう。やはり集めるなら征牙から直接得なくては意味がない。偽情報を持って帰ったところで迷惑になるだけだ。それに……征牙との話はなかなか愉快だった。決して相手に気を許していないがある程度のユーモアがあるのはよいことだ。


 孤蝶はなぜか知らないがあらかじめ用意されていた寝間着に着替える。ただのネグリジェで何の下心もなさそうなものだった。ここが私が知ってきたやつらとはものが違うと思った。征牙はどういう人物なのか……。


  不思議でならない。征牙……私をどこかで知っている。本人が「知っている」と言ったのは詭弁だと思っていたが案外本当なのかもしれない。
 しかも、自分もどこかで彼を知っているような気がするのだ。どこかで見たような……

「血に濡れた蝶が舞い、白蛇がそれに絡みつく。血が白に落ちて、白蛇は銀の蛇になる」
 征牙はそう呟いた。そして指に残る傷跡を見つめた。指を少し曲げると瘡蓋が引きつるような感覚がある。無理に動かすと瘡蓋が破けた。かすかに血がにじみ出てくる。


 征牙は血をサッと舐め、椅子から立ち上がった。そして部屋の奥にある戸に向かう。そこは戸というにはあまりにも壁と一体化していた。ただ、木目の色がほんの僅か濃くなっているだけだったのだ。そこに征牙は手を当てる。すると突如その部分だけがくるりと回り、征牙を中へと引き入れた。


 中はそこら辺にある邸宅よりももっと地味な寝室だった。ジャケットを脱いで、ハンガーにかける。征牙はベッドに寝ころんだ。最近はろくにねる事すらできなかったのだが、今日は少しは寝ることができるかもしれない。心配事が多すぎるというのは不眠の原因になるというのは本当だったらしい。
 征牙は眠れないまま朝を迎えた。

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