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月明かりのバルコニー(13)

 紅夜は一人でバルコニーに柵の外を見ていた。後ろから見ると大きく露出した背中が白く月明かりに輝いていた。
「紅夜。どうした?」
 冷雅がそっと隣に立った。
「いえ、羅貴様の魔手から逃れてきただけ」
 紅夜は何でもないというように首を振った。


「あいつの手癖は直らないんだ」
「どんな手癖?」
 紅夜が真剣な顔で聞いた。
「女性の顎を不用意に触ろうとするとか?」
 冷雅が冗談だとわかるように軽く首をかしげながら言った。
 紅夜は声を押し殺し気味に笑った。
「それは困ったものね」
 紅夜の笑いがやっと収まった。


「ああ。いつも私がストップをかけているのだが、全く聞かない」
 冷雅はため息をついた。しかも自分を見てまた令嬢たちが黄色い声をあげるというのが典型的パターンだったからだ。
「それはそうね。ところで冷雅は本当に一人称は私、なの?」
 紅夜が意外な事を聞いてきた。


「ああ。そういえば仕事口調になっていたな。私ではなく俺だ。でもあまり使わないな。俺としてはこっちの方がいいんだが家でよく注意されていたから俺は使えない」
 先ほど羅貴に飲まされたワインのせいで少し口が軽くなっていた。
「そうなの。少し酔ってるわね」
 紅夜がぼそりを最後の言葉を言ったのが聞こえた。
「酔っていない」
 冷雅は切り返した。
「そう。二条院家は天皇家に並ぶほどの名家。確かに一人称が俺じゃあだめね」
 紅夜はいたずらっぽく笑うとまたホールに戻って行こうとした。
「紅夜」
 冷雅は自分でもなぜ言ったかわからないが呼び止めた。
「なに?」
 紅夜が振り返った。
「今日は美しいな」
 冷雅はそういったとたん自分の言ったことを思い返して顔を赤くした。本日中に顔を赤くしたのは何回目だろう。
「ありがとう」


 紅夜はそういうとほほ笑んだ。そして寂しい表情になる。いつも何故か嬉しい表情の後で寂しいような表情をする。何故かはわからない。
 自分もホールへ戻ると羅貴は予想通り紅夜にまとわりついていた。
「紅夜、もう一度踊らないかい?」
 冷雅はまたしても深いため息をついた。
「酔われている方とは踊りたくございません。失礼いたします」
 羅貴ははねつける紅夜を面白がっているのは確実だった。


「紅夜、私と踊らないか?」
 しぶしぶ言うと紅夜は困った顔を緩めて冷雅に言った。
「大丈夫。気遣わなくて——ほら、羅貴様、椅子にお座りになってはいかがですか?気を付けて」
 羅貴は紅夜の手をしっかり持ち隣に座らせた。
「よってなんていないんだよ。酔っていると言えば君の美しさに酔っていると言ったところかな」
 羅貴の言葉に紅夜は頬を染めるどころか眉をひそめた。


「では今から軍服に着替えてきます。ドレスの効果が消えるでしょう。と言うかそろそろ夜も更けてきましたので帰らせていただきますね」
 羅貴は紅夜の冷たい様子に頭の中で計算して本当に嫌がっているという事を察したらしく軽く手を離した。
「よい夢を」
 羅貴はほほ笑んで紅夜の手に軽く口づけした。令嬢たちがギュンッと音を立ててどぎつい目で紅夜を見た。


「冷雅、そろそろ帰るわね。楽しかったわ」
 紅夜がこちらをチラリと見てから去って行った。
「あ~あ。ほんとに嫌がってたなんてショック」
 羅貴が椅子に座りながら言った。
「いや、あれははた目から見てもだいぶ嫌がってましたよ」
「だってさ、普通嫌がるふりして喜んでるとかあるじゃん」
 恋愛歴で言えば羅貴の方が上手なので何もいわなかった。


「君もバルコニーで楽しく話してたじゃないか。やっぱり軍服ではわからない魅力があふれていたよね。次のターゲットは紅夜にしようかな」
 令嬢たちが群がってきた。これは羅貴の過去のターゲットたちである。
「他の方との関係を絶ってから言ってくださいね」
 冷雅はため息をついた。

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